その上体質の割合に精力がつづくから、若い血気に任せて大抵の事はする。
宗助は弟を見るたびに、昔の自分が再び蘇生《そせい》して、自分の眼の前に活動しているような気がしてならなかった。時には、はらはらする事もあった。また苦々《にがにが》しく思う折もあった。そう云う場合には、心のうちに、当時の自分が一図に振舞った苦い記憶を、できるだけしばしば呼び起させるために、とくに天が小六を自分の眼の前に据《す》え付けるのではなかろうかと思った。そうして非常に恐ろしくなった。こいつもあるいはおれと同一の運命に陥《おちい》るために生れて来たのではなかろうかと考えると、今度は大いに心がかりになった。時によると心がかりよりは不愉快であった。
けれども、今日《こんにち》まで宗助は、小六に対して意見がましい事を云った事もなければ、将来について注意を与えた事もなかった。彼の弟に対する待遇|方《ほう》はただ普通|凡庸《ぼんよう》のものであった。彼の今の生活が、彼のような過去を有っている人とは思えないほどに、沈んでいるごとく、彼の弟を取り扱う様子にも、過去と名のつくほどの経験を有《も》った年長者の素振《そぶり》は容易に出なかった。
宗助と小六の間には、まだ二人ほど男の子が挟《はさ》まっていたが、いずれも早世《そうせい》してしまったので、兄弟とは云いながら、年は十《とお》ばかり違っている。その上宗助はある事情のために、一年の時京都へ転学したから、朝夕《ちょうせき》いっしょに生活していたのは、小六の十二三の時までである。宗助は剛情《ごうじょう》な聴《き》かぬ気の腕白小僧としての小六をいまだに記憶している。その時分は父も生きていたし、家《うち》の都合も悪くはなかったので、抱車夫《かかえしゃふ》を邸内の長屋に住まわして、楽に暮していた。この車夫に小六よりは三つほど年下の子供があって、始終《しじゅう》小六の御相手をして遊んでいた。ある夏の日盛りに、二人して、長い竿《さお》のさきへ菓子袋を括《くく》り付けて、大きな柿の木の下で蝉《せみ》の捕りくらをしているのを、宗助が見て、兼坊《けんぼう》そんなに頭を日に照らしつけると霍乱《かくらん》になるよ、さあこれを被《かぶ》れと云って、小六の古い夏帽を出してやった。すると、小六は自分の所有物を兄が無断で他《ひと》にくれてやったのが、癪《しゃく》に障《さわ》ったので、突
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