の方が惜しくなって来て、ついまた手を引込めて、じっとしているうちに日曜はいつか暮れてしまうのである。自分の気晴しや保養や、娯楽もしくは好尚《こうしょう》についてですら、かように節倹しなければならない境遇にある宗助が、小六のために尽さないのは、尽さないのではない、頭に尽す余裕《よゆう》のないのだとは、小六から見ると、どうしても受取れなかった。兄はただ手前勝手な男で、暇があればぶらぶらして細君と遊んでばかりいて、いっこう頼りにも力にもなってくれない、真底は情合《じょうあい》に薄い人だぐらいに考えていた。
 けれども、小六がそう感じ出したのは、つい近頃の事で、実を云うと、佐伯との交渉が始まって以来の話である。年の若いだけ、すべてに性急な小六は、兄に頼めば今日明日《きょうあす》にも方《かた》がつくものと、思い込んでいたのに、何日《いつ》までも埒《らち》が明かないのみか、まだ先方へ出かけてもくれないので、だいぶ不平になったのである。
 ところが今日帰りを待ち受けて逢《あ》って見ると、そこが兄弟で、別に御世辞も使わないうちに、どこか暖味《あたたかみ》のある仕打も見えるので、つい云いたい事も後廻しにして、いっしょに湯になんぞ這入《はい》って、穏やかに打ち解けて話せるようになって来た。
 兄弟は寛《くつ》ろいで膳《ぜん》についた。御米も遠慮なく食卓の一隅《ひとすみ》を領《りょう》した。宗助も小六も猪口《ちょく》を二三杯ずつ干した。飯にかかる前に、宗助は笑いながら、
「うん、面白いものが有ったっけ」と云いながら、袂《たもと》から買って来た護謨風船《ゴムふうせん》の達磨《だるま》を出して、大きく膨《ふく》らませて見せた。そうして、それを椀《わん》の葢《ふた》の上へ載《の》せて、その特色を説明して聞かせた。御米も小六も面白がって、ふわふわした玉を見ていた。しまいに小六が、ふうっと吹いたら達磨は膳《ぜん》の上から畳の上へ落ちた。それでも、まだ覆《かえ》らなかった。
「それ御覧」と宗助が云った。
 御米は女だけに声を出して笑ったが、御櫃《おはち》の葢《ふた》を開けて、夫の飯を盛《よそ》いながら、
「兄さんも随分|呑気《のんき》ね」と小六の方を向いて、半ば夫を弁護するように云った。宗助は細君から茶碗を受取って、一言《ひとこと》の弁解もなく食事を始めた。小六も正式に箸《はし》を取り上げた。
 達
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