さ》えて痛むよりは、かえって凌《しの》ぎやすかった。とかくして夫を送り出すまでは、しばらくしたらまたいつものように折り合って来る事と思って我慢していた。ところが宗助がいなくなって、自分の義務に一段落が着いたという気の弛《ゆる》みが出ると等しく、濁った天気がそろそろ御米の頭を攻め始めた。空を見ると凍《こお》っているようであるし、家《うち》の中にいると、陰気な障子《しょうじ》の紙を透《とお》して、寒さが浸《し》み込んで来るかと思われるくらいだのに、御米の頭はしきりに熱《ほて》って来た。仕方がないから、今朝あげた蒲団《ふとん》をまた出して来て、座敷へ延べたまま横になった。それでも堪《た》えられないので、清に濡手拭《ぬれてぬぐい》を絞《しぼ》らして頭へ乗せた。それが直《じき》生温《なまぬる》くなるので、枕元に金盥《かなだらい》を取り寄せて時々|絞《しぼ》り易《か》えた。
 午《ひる》までこんな姑息手段《こそくしゅだん》で断えず額を冷やして見たが、いっこうはかばかしい験《げん》もないので、御米は小六のために、わざわざ起きて、いっしょに食事をする根気もなかった。清《きよ》にいいつけて膳立《ぜんだて》をさせて、それを小六に薦《すす》めさしたまま、自分はやはり床を離れずにいた。そうして、平生夫のする柔《やわら》かい括枕《くくりまくら》を持って来て貰って、堅いのと取り替えた。御米は髪の損《こわ》れるのを、女らしく苦にする勇気にさえ乏しかったのである。
 小六は六畳から出て来て、ちょっと襖《ふすま》を開けて、御米の姿を覗《のぞ》き込んだが、御米が半《なか》ば床の間の方を向いて、眼を塞《ふさ》いでいたので、寝ついたとでも思ったものか、一言《ひとこと》の口も利《き》かずに、またそっと襖を閉めた。そうして、たった一人大きな食卓を専領して、始めからさらさらと茶漬を掻《か》き込む音をさせた。
 二時頃になって、御米はやっとの事、とろとろと眠ったが、眼が覚《さ》めたら額を捲《ま》いた濡れ手拭がほとんど乾くくらい暖かになっていた。その代り頭の方は少し楽になった。ただ肩から背筋《せすじ》へ掛けて、全体に重苦しいような感じが新らしく加わった。御米は何でも精をつけなくては毒だという考から、一人で起きて遅い午飯《ひるはん》を軽く食べた。
「御気分はいかがでございます」と清が御給仕をしながら、しきりに聞いた。
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