ョークを捜すために抽斗を明けると、その抽斗の中から豆ががらがらと出て来たというような話がある。これは先生を侮辱《ぶじょく》した訳ではありません、また先生に見せるためにわざわざ遣ったのでもありませんが、とにかくよほど予備門などにおったわれわれ時代の書生の風儀《ふうぎ》は乱暴でありました。現にこの学校の中を下駄《げた》で歩くのです。私も下駄で始終歩いた一人で、今はついでだから話しますが、私が此所に這入った時に丁度|杉浦重剛《すぎうらしげたけ》先生が校長で此所《ここ》の呼び者になっていた。この時二十八歳だったかと思います。大変若くて呼び者であったが、暫くするとこういう貼出《はりだ》しが出ました。学校の中を下駄を穿《は》いて歩いてはいけない。それは当然の事ですが、わざわざ貼り出さなければならんほど下駄を穿いて歩いていたものと私は考える。然《しか》るに貼出しがあって暫くしても、私は下駄を穿いて歩いていた。或日の事、丁度三時過ぎです。今頃で、もう誰もいまいと思って、下駄を穿いて、威張って歩けと思って、ドンドン歩いて行った。すると廊下を曲る途端《とたん》に杉浦重剛さんにパタリと出会った。私は乱暴書生
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