ではない。極《ご》く気の小さい大人しい者である。杉浦さんに出会ってどうしたと思います。私は急に下駄から飛び降りた。飛び降りたばかりではありません、飛び降りていきなり下駄を握って一目散《いちもくさん》に逃げ出しました。だから一口も叱られもせずまた捉《つか》まえられもせずに済んでしまった。これは唯自分で覚えているだけで人に話した事はありません、今日初めて位のものでありますが、この間《あいだ》或所で杉浦先生に久々《ひさびさ》ぶりで御目に掛った。大分先生も年を取っておられる。その時私が、先生こういう事を覚えて御出《おい》でですか、私は下駄を穿いて歩いてこうこうだったと御話したら、杉浦さんは、いやそれはどうも大変な違いだ、私は下駄を穿いて学校を歩くことは大賛成である、穿いちゃあならんという貼出しが出たのは、あれは文部省が悪い。とかく文部省はやかましい事を言うが、私はその下駄論者だったと言う。私も驚いて、杉浦さんが下駄論者だと仰《おっ》しゃるのはどういう訳ですかと聞くと、先生の曰《いわ》く、そもそも下駄は歯が二本しかない、それでいくら学校の中を下駄で歩いたところで、床に印する足跡というものは二本の
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