あ恕すべきものがあると思うです。
 元来私はこういう考えを有《も》っています。泥棒をして懲役《ちょうえき》にされた者、人殺をして絞首台《こうしゅだい》に臨《のぞ》んだもの、――法律上罪になるというのは徳義上の罪であるから公《おおやけ》に所刑《しょけい》せらるるのであるけれども、その罪を犯した人間が、自分の心の径路《けいろ》をありのままに現わすことが出来たならば、そうしてそのままを人にインプレッスする事が出来たならば、総《すべ》ての罪悪というものはないと思う。総て成立しないと思う。それをしか思わせるに一番|宜《よ》いものは、ありのままをありのままに書いた小説、良く出来た小説です。ありのままをありのままに書き得る人があれば、その人は如何なる意味から見ても悪いということを行《おこな》ったにせよ、ありのままをありのままに隠しもせず漏らしもせず描き得たならば、その人は描いた功徳《くどく》に依って正《まさ》に成仏《じょうぶつ》することが出来る。法律には触れます懲役にはなります。けれどもその人の罪は、その人の描いた物で十分に清められるものだと思う。私は確かにそう信じている。けれどもこれは、世の中に法
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