《おまえ》は風変りだと言われても、どうしてもこうしなければいられない。藪睨《やぶにら》みは藪睨みで、どうしても横ばかり見ている。これはインデペンデントの方の分子を余計|有《も》っている人である。だからこういう人というものは寔《まこと》に厄介《やっかい》なもので、世の中の人と歩調を共にすることは出来ない。おい君湯に行こう、僕は水を被《かぶ》る、君散歩に行かないか、俺は行かない座禅《ざぜん》をする、君飯を食わんか、僕はパンを食う、そういうようなインデペンデントな人になっては手が付けられない。到底一緒に住む事は困難である。しかし人に困難を与えるから気の毒な感じがないかというと、そうではない。唯そんな事は考えていられないのでしょう。それが本統のインデペンデントの人といわなければならぬ。厄介ではあるけれども、イミテートする人あるいは自己の標準を欠いていて差《さ》し障《さわ》りのない方が間違いがなくて安心だというような人に比べれば、自己の標準があるだけでもこっちの方が恕《ゆる》すべく貴ぶべし――といったらどんな奴が出て来るか分らぬが、事実貴ぶべき人もありましょう。とにかくインデペンデントの人にはま
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