ごとく長々と説明したくなるが――極めて低級に属する頭脳をもった人類で、同時に比較的芸術心に富んだ人類が、同程度の人類の要求に応ずるために作ったものをやってるからだろうと思う。例を挙《あ》げると、いくらもあるが、丸橋忠弥とかいう男が、酒に酔いながら、濠《ほり》の中へ石を抛《な》げて、水の深浅を測《はか》るところが、いかにも大事件であるごとく、またいかにも豪《えら》そうな態度で、またいかにも天下の智者でなくっちゃ、こんな真似《まね》はできないぞと云わぬばかりにもったいぶってやる。そのもったいぶるところを見物がわっと喝采《かっさい》するのである。が、常識から判断すれば誰にでも考えつく事で、誰にでもやれる事で、やったってしようのない事である。だからもったいぶり方はいくら芸術的にうまくできたって、うまくできればできるほどおかしくするだけである。それを心から感心して見るのは、どうしたって、本町の生薬屋《きぐすりや》の御神《おかみ》さんと同程度の頭脳である。こんな謀反人《むほんにん》なら幾百人出て来たって、徳川の天下は今日までつづいているはずである。松平伊豆守なんてえ男もこれと同程度である。番傘《ば
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