明治座の所感を虚子君に問れて
夏目漱石
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)訥升《とっしょう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)不断|仮色《こわいろ》などを
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)あらたか[#「あらたか」に傍点]
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○虚子に誘われて珍らしく明治座を見に行った。芝居というものには全く無知無識であるから、どんな印象を受けるか自分にもまるで分らなかった。虚子もそこが聞きたいので、わざわざ誘ったのである。もっとも幼少の頃は沢村田之助とか訥升《とっしょう》とかいう名をしばしば耳にした事を覚えている。それから猿若町《さるわかちょう》に芝居小屋がたくさんあったかのように、何となく夢ながら承知している。しかも、あとから聞くと訥升が贔屓《ひいき》だったという話であるから驚ろく。それはおおかた嘘《うそ》だろうと思う。物心がついてからは全く芝居には足を入れなかった。しかし自分の兄共は揃《そろい》も揃って芝居好で、家にいると不断|仮色《こわいろ》などを使っているから、自分はこの仮色を通して役者を知っていた。それから今日までに団十郎をたった一遍見た事があるばかりである。もっとも新派劇は帰朝後三四遍見たが、けっして好じゃない。いつでも虚子に誘われて行くだけで、行ったあとでは大いに辟易《へきえき》するくらいである。
○それで明治座へ行って、自分の枡《ます》へ這入《はい》ってみると、ただ四方八方ざわざわしていろいろな色彩が眼に映る感じが一番強かった。もっともこれは能とさほど性質において差違はないが、正面の舞台で女の生首を抱いたり箱へ入れたりしているのにその所作《しょさ》には一向同情がない。万事余計な事をしているように思われる。まるで西洋人が始めて日本の芝居を見たら、こうだろうと想像されるくらい妙な心持であった。全く魚の陸見物《おかけんぶつ》である。
○それからだんだん慣れて来たら、ようやく役者の主意の存するところもほぼ分って来たので、幾分か彼我の胸裏《きょうり》に呼応する或ものを認める事ができたが、いかんせん、彼らのやっている事は、とうてい今日の開明に伴った筋を演じていないのだからはなはだ気の毒な心持がした。
○その特色を一言で概括したら、どうなるだろうと考えると、――固《もと》よりいろいろあり、また例の
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