留所で下りて、下りた処から、すぐ右へ切れさえすれば、つい四五町の道を歩くだけで、すぐ門前へ出られた。
 藤井や岡本の住居《すまい》と違って、郊外に遠い彼の邸《やしき》には、ほとんど庭というものがなかった。車廻し、馬車廻しは無論の事であった。往来に面して建てられたと云ってもいいその二階作りと門の間には、ただ三間足らずの余地があるだけであった。しかもそれが石で敷き詰められているので、地面の色はどこにも見えなかった。
 市区改正の結果、よほど以前に取り広げられた往来には、比較的よそで見られない幅があった。それでいて商売をしている店は、町内にほとんど一軒も見当らなかった。弁護士、医者、旅館、そんなものばかりが並んでいるので、四辺《あたり》が繁華な割に、通りはいつも閑静であった。
 その上|路《みち》の左右には柳の立木が行儀よく植えつけられていた。したがって時候の好い時には、殺風景な市内の風も、両側に揺《うご》く緑りの裡《うち》に一種の趣《おもむき》を見せた。中で一番大きいのが、ちょうど堀《ほり》の塀際《へいぎわ》から斜めに門の上へ長い枝を差し出しているので、よそ目《め》にはそれが家と調子を取るために、わざとそこへ移されたように体裁《ていさい》が好かった。
 その他の特色を云うと、玄関の前に大きな鉄の天水桶《てんすいおけ》があった。まるで下町の質屋か何かを聯想《れんそう》させるこの長物《ちょうぶつ》と、そのすぐ横にある玄関の構《かまえ》とがまたよく釣り合っていた。比較的間口の広いその玄関の入口はことごとく細《ほそ》い格子《こうし》で仕切られているだけで、唐戸《からど》だの扉《ドア》だのの装飾はどこにも見られなかった。
 一口でいうと、ハイカラな仕舞《しも》うた屋《や》と評しさえすれば、それですぐ首肯《うなず》かれるこの家の職業は、少なくとも系統的に、家の様子を見ただけで外部から判断する事ができるのに、不思議なのはその主人であった。彼は自分がどんな宅《うち》へ入っているかいまだかつて知らなかった。そんな事を苦《く》にする神経をもたない彼は、他《ひと》から自分の家業柄《かぎょうがら》を何とあげつらわれてもいっこう平気であった。道楽者だが、満更《まんざら》無教育なただの金持とは違って、人柄からいえば、こんな役者向の家に住《すま》うのはむしろ不適当かも知れないくらいな彼は、極《きわ》めて我《が》の少ない人であった。悪く云えば自己の欠乏した男であった。何でも世間の習俗通りにして行く上に、わが家庭に特有な習俗もまた改めようとしない気楽ものであった。かくして彼は、彼の父、彼の母に云わせるとすなわち先代、の建てた土蔵造《どぞうづく》りのような、そうしてどこかに芸人趣味のある家に住んで満足しているのであった。もし彼の美点がそこにもあるとすれば、わざとらしく得意がっていない彼の態度を賞《ほ》めるよりほかに仕方がなかった。しかし彼はまた得意がるはずもなかった。彼の眼に映る彼の住宅は、得意がるにしては、彼にとってあまりに陳腐《ちんぷ》過ぎた。
 お延は堀の家《うち》を見るたびに、自分と家との間に存在する不調和を感じた。家へ入《は》いってからもその距離を思い出す事がしばしばあった。お延の考えによると、一番そこに落ちついてぴたりと坐っていられるものは堀の母だけであった。ところがこの母は、家族中でお延の最も好かない女であった。好かないというよりも、むしろ応対しにくい女であった。時代が違う、残酷に云えば隔世の感がある、もしそれが当らないとすれば、肌が合わない、出が違う、その他評する言葉はいくらでもあったが、結果はいつでも同じ事に帰着した。
 次には堀その人が問題であった。お延から見たこの主人は、この家《うち》に釣り合うようでもあり、また釣り合わないようでもあった。それをもう一歩進めていうと、彼はどんな家へ行っても、釣り合うようでもあり、釣り合わないようでもあるというのとほとんど同じ意味になるので、始めから問題にしないのと、大した変りはなかった。この曖昧《あいまい》なところがまたお延の堀に対する好悪《こうお》の感情をそのままに現わしていた。事実をいうと、彼女は堀を好いているようでもあり、また好いていないようでもあった。
 最後に来《きた》るお秀に関しては、ただ要領を一口でいう事ができた。お延から見ると、彼女はこの家の構造に最も不向《ふむき》に育て上げられていた。この断案にもう少しもったいをつけ加えて、心理的に翻訳すると、彼女とこの家庭の空気とはいつまで行っても一致しっこなかった。堀の母とお秀、お延は頭の中にこの二人を並べて見るたびに一種の矛盾を強《し》いられた。しかし矛盾の結果が悲劇であるか喜劇であるかは容易に判断ができなかった。
 家と人とをこう組み合せて考えるお延の眼に、不思議と思われる事がただ一つあった。
「一番家と釣り合の取れている堀の母が、最も彼女を手古摺《てこず》らせると同時に、その反対に出来上っているお秀がまた別の意味で、最も彼女に苦痛を与えそうな相手である」
 玄関の格子《こうし》を開けた時、お延の頭に平生からあったこんな考えを一度に蘇《よみが》えらさせるべく号鈴《ベル》がはげしく鳴った。

        百二十四

 昨日《きのう》孫を伴《つ》れて横浜の親類へ行ったという堀の母がまだ帰っていなかったのは、座敷へ案内されたお延にとって、意外な機会であった。見方によって、好い都合《つごう》にもなり、また悪い跋《ばつ》にもなるこの機会は、彼女から話しのしにくい年寄を追《お》い除《の》けてくれたと同時に、ただ一人|面《めん》と向き合って、当の敵《かたき》のお秀と応対しなければならない不利をも与えた。
 お延に知れていないこの情実は、訪問の最初から彼女の勝手を狂わせた。いつもなら何をおいても小さな髷《まげ》に結《い》った母が一番先へ出て来て、義理ずぐめにちやほやしてくれるところを、今日に限って、劈頭《へきとう》にお秀が顔を出したばかりか、待ち設《もう》けた老女はその後《あと》からも現われる様子をいっこう見せないので、お延はいつもの予期から出てくる自然の調子をまず外《はず》させられた。その時彼女はお秀を一目見た眼の中《うち》に、当惑の色を示した。しかしそれはすまなかったという後悔の記念でも何でもなかった。単に昨日《きのう》の戦争に勝った得意の反動からくる一種のきまり悪さであった。どんな敵《かたき》を打たれるかも知れないという微《かす》かな恐怖であった。この場をどう切り抜けたらいいか知らという思慮の悩乱でもあった。
 お延はこの一瞥《いちべつ》をお秀に与えた瞬間に、もう今日の自分を相手に握られたという気がした。しかしそれは自分のもっている技巧のどうする事もできない高い源からこの一瞥《いちべつ》が突如として閃《ひら》めいてしまった後であった。自分の手の届かない暗中から不意に来たものを、喰い止める威力をもっていない彼女は、甘んじてその結果を待つよりほかに仕方がなかった。
 一瞥ははたしてお秀の上によく働いた。しかしそれに反応してくる彼女の様子は、またいかにも予想外であった。彼女の平生、その平生が破裂した昨日《きのう》、津田と自分と寄ってたかってその破裂を料理した始末、これらの段取を、不断から一貫して傍《はた》の人の眼に着く彼女の性格に結びつけて考えると、どうしても無事に納まるはずはなかった。大なり小なり次の波瀾《はらん》が呼び起されずに片がつこうとは、いかに自分の手際に重きをおくお延にも信ぜられなかった。
 だから彼女は驚ろいた。座に着いたお秀が案に相違していつもより愛嬌《あいきょう》の好い挨拶《あいさつ》をした時には、ほとんどわれを疑うくらいに驚ろいた。その疑いをまた少しも後へ繰り越させないように、手抜《てぬか》りなく仕向けて来る相手の態度を眼の前に見た時、お延はむしろ気味が悪くなった。何という変化だろうという驚ろきの後から、どういう意味だろうという不審が湧《わ》いて起った。
 けれども肝心《かんじん》なその意味を、お秀はまたいつまでもお延に説明しようとしなかった。そればかりか、昨日病院で起った不幸な行《ゆ》き違《ちがい》についても、ついに一言《ひとこと》も口を利《き》く様子を見せなかった。
 相手に心得があってわざと際《きわ》どい問題を避けている以上、お延の方からそれを切り出すのは変なものであった。第一好んで痛いところに触れる必要はどこにもなかった。と云って、どこかで区切《くぎり》を付けて、双方さっぱりしておかないと、自分は何のために、今日ここまで足を運んだのか、主意が立たなくなった。しかし和解の形式を通過しないうちに、もう和解の実を挙げている以上、それをとやかく表面へ持ち出すのも馬鹿げていた。
 怜悧《りこう》なお延は弱らせられた。会話が滑《なめ》らかにすべって行けば行くほど、一種の物足りなさが彼女の胸の中に頭を擡《もた》げて来た。しまいに彼女は相手のどこかを突き破って、その内側を覗《のぞ》いて見ようかと思い出した。こんな点にかけると、すこぶる冒険的なところのある彼女は、万一やり損《そく》なった暁《あかつき》に、この場合から起り得る危険を知らないではなかった。けれどもそこには自分の腕に対する相当の自信も伴っていた。
 その上もし機会が許すならば、お秀の胸の格別なある一点に、打診を試ろみたいという希望が、お延の方にはあった。そこを敲《たた》かせて貰《もら》って局部から自然に出る本音《ほんね》を充分に聴《き》く事は、津田と打ち合せを済ました訪問の主意でも何でもなかったけれども、お延自身からいうと、うまく媾和《こうわ》の役目をやり終《おお》せて帰るよりも遥《はる》かに重大な用向《ようむき》であった。
 津田に隠さなければならないこの用向は、津田がお延にないしょにしなければならない事件と、その性質の上においてよく似通っていた。そうして津田が自分のいない留守《るす》に、小林がお延に何を話したかを気にするごとく、お延もまた自分のいない留守に、お秀が津田に何を話したかを確《しか》と突きとめたかったのである。
 どこに引《ひっ》かかりを拵《こしら》えたものかと思案した末、彼女は仕方なしに、藤井の帰りに寄ってくれたというお秀の訪問をまた問題にした。けれども座に着いた時すでに、「先刻《さっき》いらしって下すったそうですが、あいにくお湯に行っていて」という言葉を、会話の口切《くちきり》に使った彼女が、今度は「何か御用でもおありだったの」という質問で、それを復活させにかかった時、お秀はただ簡単に「いいえ」と答えただけで、綺麗《きれい》にお延を跳《は》ねつけてしまった。

        百二十五

 お延は次に藤井から入って行こうとした。今朝《けさ》この叔父《おじ》の所を訪《たず》ねたというお秀の自白が、話しをそっちへ持って行くに都合のいい便利を与えた。けれどもお秀の門構《もんがまえ》は依然としてこの方面にも厳重であった。彼女は必要の起るたびに、わざわざその門の外へ出て来て、愛想よくお延に応対した。お秀がこの叔父の世話で人となった事実は、お延にもよく知れていた。彼女が精神的にその感化を受けた点もお延に解《わか》っていた。それでお延は順序としてまずこの叔父の人格やら生活やらについて、お秀の気に入りそうな言辞《ことば》を弄《ろう》さなければならなかった。ところがお秀から見ると、それがまた一々誇張と虚偽の響きを帯びているので、彼女は真面目《まじめ》に取り合う緒口《いとくち》をどこにも見出《みいだ》す事ができないのみならず、長く同じ筋道を辿《たど》って行くうちには、自然|気色《きしょく》を悪くした様子を外に現わさなければすまなくなった。敏捷《びんしょう》なお延は、相手を見縊《みくび》り過《す》ぎていた事に気がつくや否や、すぐ取って返した。するとお秀の方で、今度は岡本の事を喋々《ちょうちょう》し始めた。お秀対藤井とちょうど同じ関係にあるその叔父は、お延にとって大事な人であると共
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