ただおとなしく茶の間を立つお金さんの後姿《うしろすがた》を見送った。
 お金さんの出て行った後で、叔母はみんなの前で叔父に云った。
「どうかまああの子《こ》も今度《こんだ》の縁が纏《まと》まるようになると仕合せですがね」
「纏まるだろうよ」
 叔父は苦《く》のなさそうな返事をした。
「至極《しごく》よさそうに思います」
 小林の挨拶《あいさつ》も気軽かった。黙っているのは津田と真事《まこと》だけであった。
 相手の名を聞いた時、津田はその男に一二度叔父の家《うち》で会ったような心持もしたが、ほとんど何らの記憶も残っていなかった。
「お金さんはその人を知ってるんですか」
「顔は知ってるよ。口は利《き》いた事がないけれども」
「じゃ向うも口を利いた事なんかないんでしょう」
「当り前さ」
「それでよく結婚が成立するもんだな」
 津田はこういって然《しか》るべき理窟《りくつ》が充分自分の方にあると考えた。それをみんなに見せるために、彼は馬鹿馬鹿しいというよりもむしろ不思議であるという顔つきをした。
「じゃどうすれば好いんだ。誰でもみんなお前が結婚した時のようにしなくっちゃいけないというのかね」
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