なかった。裏には別な見方があった。そこには無関心な通りがかりの人と違った自分というものが頑張《がんば》っていた。そうしてその自分に「私」という名を命《つ》ける事のできなかった津田は、飽《あ》くまでもそれを「特殊な人」と呼ぼうとしていた。彼のいわゆる特殊な人とはすなわち素人《しろうと》に対する黒人《くろうと》であった。無知者に対する有識者であった。もしくは俗人に対する専門家であった。だから通り一遍のものより余計に口を利く権利をもっているとしか、彼には思えなかった。
表で認めて裏で首肯《うけが》わなかった津田の清子に対する心持は、何かの形式で外部へ発現するのが当然であった。
百八十六
「昨夕《ゆうべ》は失礼しました」
津田は突然こう云って見た。それがどんな風に相手を動かすだろうかというのが、彼の覘《ねら》いどころであった。
「私《わたくし》こそ」
清子の返事はすらすらと出た。そこに何の苦痛も認められなかった時に津田は疑った。
「この女は今朝《けさ》になってもう夜の驚ろきを繰り返す事ができないのかしら」
もしそれを憶《おも》い起す能力すら失っているとすると、彼の使
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