に毎晩義太夫を習っているんだとか、宅《うち》のお上《かみ》さんは長唄《ながうた》が上手だとか、いろいろの問をかけると共に、いろいろの知識を供給した。聴かないでもいい事まで聴かされた津田には、勝さんの触れないものが、たった一つしかないように思われた。そうしてその触れないものは取《とり》も直《なお》さず清子という名前であった。偶然から来たこの結果には、津田にとって多少の物足らなさが含まれていた。もちろん津田の方でも水を向ける用意もなかった。そんな暇のないうちに、勝さんはさっさとしゃべるだけしゃべって、洗う方を切り上げてしまった。
「どうぞごゆっくり」
 こう云って出て行った勝さんの後影を見送った津田にも、もうゆっくりする必要がなかった。彼はすぐ身体を拭いて硝子戸《ガラスど》の外へ出た。しかし濡手拭《ぬれてぬぐい》をぶら下げて、風呂場の階子段《はしごだん》を上《あが》って、そこにある洗面所と姿見《すがたみ》の前を通り越して、廊下を一曲り曲ったと思ったら、はたしてどこへ帰っていいのか解らなくなった。

        百七十五

 最初の彼はほとんど気がつかずに歩いた。これが先刻《さっき》下女
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