それでも少し金が溜《たま》ったと見えるな。あの風船玉が、じっと落ちつけるようになったのは、全く金の重みのために違ない」
 しかし金の重みのいつまで経《た》ってもかからない彼自身は、最初から動かなかった。彼は始終《しじゅう》東京にいて始終貧乏していた。彼はいまだかつて月給というものを貰った覚《おぼえ》のない男であった。月給が嫌いというよりも、むしろくれ手がなかったほどわがままだったという方が適当かも知れなかった。規則ずくめな事に何でも反対したがった彼は、年を取ってその考が少し変って来た後《あと》でも、やはり以前の強情を押し通していた。これは今さら自分の主義を改めたところで、ただ人に軽蔑《けいべつ》されるだけで、いっこう得《とく》にはならないという事をよく承知しているからでもあった。
 実際の世の中に立って、端的《たんてき》な事実と組み打ちをして働らいた経験のないこの叔父は、一面において当然|迂濶《うかつ》な人生批評家でなければならないと同時に、一面においてははなはだ鋭利な観察者であった。そうしてその鋭利な点はことごとく彼の迂濶な所から生み出されていた。言葉を換《か》えていうと、彼は迂濶の
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