上に載せてある楓《かえで》の盆栽《ぼんさい》に落ちた。
「あれはどなたが持っていらしったんです」
 津田は失敗《しくじ》ったと思った。なぜ早く吉川夫人の来た事を自白してしまわなかったかと後悔した。彼が最初それを口にしなかったのは分別《ふんべつ》の結果であった。話すのに訳はなかったけれども、夫人と相談した事柄の内容が、お延に対する彼を自然臆病にしたので、気の咎《とが》める彼は、まあ遠慮しておく方が得策だろうと思案したのである。
 盆栽をふり返った彼が吉川夫人の名を云おうとして、ちょっと口籠《くちごも》った時、お延は機先を制した。
「吉川の奥さんがいらしったじゃありませんか」
 津田は思わず云った。
「どうして知ってるんだ」
「知ってますわ。そのくらいの事」
 お延の様子に注意していた津田はようやく度胸を取り返した。
「ああ来たよ。つまりお前の予言《よげん》があたった訳になるんだ」
「あたしは奥さんが電車に乗っていらしった事までちゃんと知ってるのよ」
 津田はまた驚ろいた。ことによると自動車が大通りに待っていたのかも知れないと思っただけで、彼は夫人の乗物にそれ以上細かい注意を払わなかった。
前へ 次へ
全746ページ中557ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング