し君はいったいどんな事を云って、彼奴《あいつ》に調戯ったのかい」
「そりゃもうお延さんから聴《き》いたろう」
「いいや聴かない」
 二人は顔を見合せた。互いの胸を忖度《そんたく》しようとする試みが、同時にそこに現われた。

        百十七

 津田が小林に本音《ほんね》を吹かせようとするところには、ある特別の意味があった。彼はお延の性質をその著るしい断面においてよく承知していた。お秀と正反対な彼女は、飽《あ》くまで素直《すなお》に、飽くまで閑雅《しとやか》な態度を、絶えず彼の前に示す事を忘れないと共に、どうしてもまた彼の自由にならない点を、同様な程度でちゃんともっていた。彼女の才は一つであった。けれどもその応用は両面に亘《わた》っていた。これは夫に知らせてならないと思う事、または隠しておく方が便宜《べんぎ》だときめた事、そういう場合になると、彼女は全く津田の手にあまる細君であった。彼女が柔順であればあるほど、津田は彼女から何にも掘り出す事ができなかった。彼女と小林の間に昨日《きのう》どんなやりとりが起ったか、それはお秀の騒ぎで委細を訊《き》く暇もないうちに、時間が経《た》ってし
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