分の傍《そば》に引きつけておくのを男らしくないと考えた。それで快よく彼女を自由な空気の中に放してやった。しかし彼女が彼の好意を感謝して、彼の病床を去るや否や、急に自分だけ一人取り残されたような気がし出した。彼は物足りない耳を傾むけて、お延の下へ降りて行く足音を聞いた。彼女が玄関の扉を開ける時、烈《はげ》しく鳴らした号鈴《ベル》の音さえ彼にはあまり無遠慮過ぎた。彼が局部から受ける厭《いや》な筋肉の感じはちょうどこの時に再発したのである。彼はそれを一種の刺戟《しげき》に帰した。そうしてその刺戟は過敏にされた神経のお蔭《かげ》にほかならないと考えた。ではお延の行為が彼の神経をそれほど過敏にしたのだろうか。お延の所作《しょさ》に対して突然不快を感じ出した彼も、そこまでは論断する事ができなかった。しかし全く偶然の暗合《あんごう》でない事も、彼に云わせると、自明の理であった。彼は自分だけの料簡《りょうけん》で、二つの間にある関係を拵《こしら》えた。同時にその関係を後からお延に云って聞かせてやりたくなった。単に彼女を気の毒がらせるために、病気で寝ている夫を捨てて、一日の歓楽に走った結果の悪かった事を
前へ 次へ
全746ページ中338ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング