まで楽天的に肥え太ったその顔が、瞬間のお延をとっさに刺戟《しげき》した。
「叔父さんもずいぶん人が悪いのね」
 彼女は藪《やぶ》から棒にこう云わなければならなかった。今日《こんにち》まで二人の間に何百遍《なんびゃっぺん》となく取り換わされたこの常套《じょうとう》な言葉を使ったお延の声は、いつもと違っていた。表情にも特殊なところがあった。けれども先刻《さっき》からお延の腹の中にどんな潮《うしお》の満干《みちひ》があったか、そこにまるで気のつかずにいた叔父は、平生の細心にも似ず、全く無邪気であった。
「そんなに人が悪うがすかな」
 例の調子でわざと空っとぼけた彼は、澄まして刻煙草《きざみ》を雁首《がんくび》へ詰めた。
「おれの留守《るす》にまた叔母さんから何か聴《き》いたな」
 お延はまだ黙っていた。叔母はすぐ答えた。
「あなたの人の悪いぐらい今さら私から聴かないでもよく承知してるそうですよ」
「なるほどね。お延は直覚派だからな。そうかも知れないよ。何しろ一目見てこの男の懐中には金がいくらあって、彼はそれを犢鼻褌《ふんどし》のミツへ挟《はさ》んでいるか、または胴巻《どうまき》へ入れて臍《へ
前へ 次へ
全746ページ中242ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング