人に会わなかったなら、最愛の夫に対して、これほど不愉快な感じを抱《いだ》かずにすんだろうにという気ばかり強くした。
しまいに彼女はどこかにいる誰かに自分の心を訴えたくなった。昨夜《ゆうべ》書きかけた里へやる手紙の続《つづき》を書こうと思って、筆を執《と》りかけた彼女は、いつまで経《た》っても、夫婦仲よく暮しているから安心してくれという意味よりほかに、自分の思いを巻紙の上に運ぶ事ができなかった。それは彼女が常に両親に対して是非云いたい言葉であった。しかし今夜は、どうしてもそれだけでは物足らない言葉であった。自分の頭を纏《まと》める事に疲れ果た彼女は、とうとう筆を投げ出した。着物もそこへ脱ぎ捨てたまま、彼女はついに床へ入った。長い間眼に映った劇場の光景が、断片的に幾通りもの強い色になって、興奮した彼女の頭をちらちら刺戟《しげき》するので、彼女は焦《じ》らされる人のように、いつまでも眠に落ちる事ができなかった。
五十八
彼女は枕の上で一時を聴いた。二時も聴いた。それから何時《なんじ》だか分らない朝の光で眼を覚《さ》ました。雨戸の隙間《すきま》から差し込んで来るその光は
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