の胸に上った。自分の朝夕《あさゆう》尽している親切は、ずいぶん精一杯なつもりでいるのに、夫の要求する犠牲には際限がないのかしらんという、不断からの疑念が、濃い色でぱっと頭の中へ出た。彼女はその疑念を晴らしてくれる唯一《ゆいいつ》の責任者が今自分の前にいるのだという自覚と共に、岡本の細君を見た。その細君は、遠くに離れている両親をもった彼女から云えば、東京中で頼りにするたった一人の叔母であった。
「良人《おっと》というものは、ただ妻の情愛を吸い込むためにのみ生存する海綿《かいめん》に過ぎないのだろうか」
これがお延のとうから叔母《おば》にぶつかって、質《ただ》して見たい問であった。不幸にして彼女には持って生れた一種の気位《きぐらい》があった。見方次第では痩我慢《やせがまん》とも虚栄心とも解釈のできるこの気位が、叔母に対する彼女を、この一点で強く牽制《けんせい》した。ある意味からいうと、毎日土俵の上で顔を合せて相撲《すもう》を取っているような夫婦関係というものを、内側の二人から眺めた時に、妻はいつでも夫の相手であり、またたまには夫の敵であるにしたところで、いったん世間に向ったが最後、どこま
前へ
次へ
全746ページ中159ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング