った自覚がぼんやり働らいていた。
 彼が黙って間《あい》の襖《ふすま》を開けて次の室《へや》へ出て行こうとした時、細君はまた彼の背後《うしろ》から声を掛けた。
「じゃ芝居はもうおやめね。岡本へは私から断っておきましょうね」
 津田はちょっとふり向いた。
「だから御前はおいでよ、行きたければ。おれは今のような訳で、どうなるか分らないんだから」
 細君は下を向いたぎり夫を見返さなかった。返事もしなかった。津田はそれぎり勾配《こうばい》の急な階子段《はしごだん》をぎしぎし踏んで二階へ上《あが》った。
 彼の机の上には比較的大きな洋書が一冊|載《の》せてあった。彼は坐るなりそれを開いて枝折《しおり》の挿《はさ》んである頁《ページ》を目標《めあて》にそこから読みにかかった。けれども三四日《さんよっか》等閑《なおざり》にしておいた咎《とが》が祟《たた》って、前後の続き具合がよく解らなかった。それを考え出そうとするためには勢い前の所をもう一遍読み返さなければならないので、気の差《さ》した彼は、読む事の代りに、ただ頁をばらばらと翻《ひるがえ》して書物の厚味ばかりを苦にするように眺めた。すると前途|遼遠
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