ぶ》ったまま、彼は一応ぐるりと四方《あたり》を見廻した後《あと》で、懐《ふところ》へ手を入れた。そうしてそこから取り出した薄い小型の帳面を開けて、読むのだか考えるのだか、じっと見つめていた。彼はいつまで経《た》っても、古ぼけたトンビを脱ごうとしなかった。帽子も頭へ載せたままであった。しかし帳面はそんなに長くひろげていなかった。大事そうにそれを懐へしまうと、今度は飲みながら、じろりじろりと他《ほか》の客を、見ないようにして見始めた。その相間《あいま》相間には、ちんちくりんな外套《がいとう》の羽根の下から手を出して、薄い鼻の下の髭《ひげ》を撫《な》でた。
 先刻《さっき》から気をつけるともなしにこの様子に気をつけていた二人は、自分達の視線が彼の視線に行き合った時、ぴたりと真向《まむき》になって互に顔を見合せた。小林は心持前へ乗り出した。
「何だか知ってるか」
 津田は元の通りの姿勢を崩《くず》さなかった。ほとんど返事に価《あたい》しないという口調で答えた。
「何だか知るもんか」
 小林はなお声を低くした。
「あいつは探偵《たんてい》だぜ」
 津田は答えなかった。相手より酒量の強い彼は、かえ
前へ 次へ
全746ページ中115ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング