れで行くのが厭《いや》になった訳でもあるまい」
「ううん。だってお父さんが止せって云うんだもの。僕岡本の所へ行ってブランコがしたいんだけども」
津田は小首を傾けた。叔父《おじ》が子供を岡本へやりたがらない理由《わけ》は何だろうと考えた。肌合《はだあい》の相違、家風の相違、生活の相違、それらのものがすぐ彼の心に浮かんだ。始終《しじゅう》机に向って沈黙の間に活字的の気※[#「(諂−言)+炎」、第3水準1−87−64]《きえん》を天下に散布している叔父は、実際の世間においてけっして筆ほどの有力者ではなかった。彼は暗《あん》にその距離を自覚していた。その自覚はまた彼を多少|頑固《かたくな》にした。幾分か排外的にもした。金力権力本位の社会に出て、他《ひと》から馬鹿にされるのを恐れる彼の一面には、その金力権力のために、自己の本領を一分《いちぶ》でも冒されては大変だという警戒の念が絶えずどこかに働いているらしく見えた。
「真事なぜお父さんに訊《き》いて見なかったのだい。岡本へ行っちゃなぜいけないんですって」
「僕|訊《き》いたよ」
「訊いたらお父さんは何と云った。――何とも云わなかったろう」
「ううん、云った」
「何と云った」
真事は少し羞恥《はにか》んでいた。しばらくしてから、彼はぽつりぽつり句切《くぎり》を置くような重い口調《くちょう》で答えた。
「あのね、岡本へ行くとね、何でも一《はじめ》さんの持ってるものをね、宅《うち》へ帰って来てからね、買ってくれ、買ってくれっていうから、それでいけないって」
津田はようやく気がついた。富の程度に多少等差のある二人の活計向《くらしむき》は、彼らの子供が持つ玩具《おもちゃ》の末に至るまでに、多少等差をつけさせなければならなかったのである。
「それでこいつ自動車だのキッドの靴だのって、むやみに高いものばかり強請《ねだる》んだな。みんな一《はじめ》さんの持ってるのを見て来たんだろう」
津田は揶揄《からか》い半分手を挙《あ》げて真事の背中を打とうとした。真事は跋《ばつ》の悪い真相を曝露《ばくろ》された大人《おとな》に近い表情をした。けれども大人のように言訳がましい事はまるで云わなかった。
「嘘《うそ》だよ。嘘だよ」
彼は先刻《さっき》津田に買ってもらった一円五十銭の空気銃を担《かつ》いだままどんどん自分の宅《うち》の方へ逃げ出した。彼の隠袋《かくし》の中にあるビー玉が数珠《じゅず》を劇《はげ》しく揉《も》むように鳴った。背嚢《はいのう》の中では弁当箱だか教科書だかが互にぶつかり合う音がごとりごとりと聞こえた。
彼は曲り角の黒板塀《くろいたべい》の所でちょっと立ちどまって鼬《いたち》のように津田をふり返ったまま、すぐ小さい姿を小路《こうじ》のうちに隠した。津田がその小路を行き尽して突《つ》きあたりにある藤井の門を潜《くぐ》った時、突然ドンという銃声が彼の一間ばかり前で起った。彼は右手の生垣《いけがき》の間から大事そうに彼を狙撃《そげき》している真事の黒い姿を苦笑をもって認めた。
二十五
座敷で誰かと話をしている叔父の声を聞いた津田は、格子《こうし》の間から一足の客靴を覗《のぞ》いて見たなり、わざと玄関を開けずに、茶の間の縁側《えんがわ》の方へ廻った。もと植木屋ででもあったらしいその庭先には木戸の用心も竹垣の仕切《しきり》もないので、同じ地面の中に近頃建て増された新らしい貸家の勝手口を廻ると、すぐ縁鼻《えんばな》まで歩いて行けた。目隠しにしては少し低過ぎる高い茶の樹を二三本通り越して、彼の記憶にいつまでも残っている柿の樹《き》の下を潜《くぐ》った津田は、型のごとくそこに叔母の姿を見出《みいだ》した。障子《しょうじ》の篏入硝子《はめガラス》に映るその横顔が彼の眼に入った時、津田は外部《そと》から声を掛けた。
「叔母さん」
叔母はすぐ障子を開けた。
「今日はどうしたの」
彼女は子供が買って貰った空気銃の礼も云わずに、不思議そうな眼を津田の上に向けた。四十の上をもう三つか四つ越したこの叔母の態度には、ほとんど愛想《あいそ》というものがなかった。その代り時と場合によると世間並《せけんなみ》の遠慮を超越した自然が出た。そのうちにはほとんど性《セックス》の感じを離れた自然さえあった。津田はいつでもこの叔母と吉川の細君とを腹の中で比較した。そうしていつでもその相違に驚ろいた。同じ女、しかも年齢《とし》のそう違わない二人の女が、どうしてこんなに違った感じを他《ひと》に与える事ができるかというのが、第一の疑問であった。
「叔母さんは相変らず色気がないな」
「この年齢になって色気があっちゃ気狂《きちがい》だわ」
津田は縁側《えんがわ》へ腰をかけた。叔母は上《あが》れとも云わないで、膝《ひざ
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