好奇心を満足させた。彼の話は、とうてい子供でなくては云えない、観察だの、批評だの、事実だのに富んでいた。食卓は一時彼の力で賑《にぎ》わった。
みんなを笑わせた真事の逸話の中《うち》に、下《しも》のようなのがあった。
ある時学校の帰りに、彼は一といっしょに大きな深い穴を覗《のぞ》き込んだ。土木工事のために深く掘り返されて、往来の真中に出来上ったその穴の上には、一本の杉丸太が掛け渡してあった。一は真事に、その丸太の上を渡ったら百円やると云った。すると無鉄砲な真事は、背嚢《はいのう》を背負《しょ》って、尨犬《むくいぬ》の皮で拵《こしら》えたといわれる例の靴を穿《は》いたまま、「きっとくれる?」と云いながら、ほとんど平たい幅をもっていない、つるつる滑《すべ》りそうな材木を渡り始めた。最初は今に落ちるだろうと思って見ていた一は、相手が一歩一歩と、危ないながらゆっくりゆっくり自分に近づいて来るのを見て、急に怖《こわ》くなった。彼は深い穴の真上にある友達をそこへ置《お》き去《ざ》りにして、どんどん逃げだした。真事はまた始終《しじゅう》足元に気を取られなければならないので、丸太を渡り切ってしまうまでは、一がどこへ行ったか全く知らずにいた。ようやく冒険を仕遂《しと》げて、約束通り百円貰おうと思って始めて眼を上げると、相手はいつの間にか逃げてしまって、一の影も形もまるで見えなかったというのである。
「一の方が少し小悧巧《こりこう》のようだな」と叔父が評した。
「藤井さんは近頃あんまり遊びに来ないようね」と叔母が云った。
七十五
小供が一つ学校の同級にいる事のほかに、お延の関係から近頃岡本と藤井の間に起った交際には多少の特色があった。否《いや》でも顔を合せなければならない祝儀《しゅうぎ》不祝儀《ぶしゅうぎ》の席を未来に控えている彼らは、事情の許す限り、双方から接近しておく便宜を、平生から認めない訳に行かなかった。ことに女の利害を代表する岡本の方は、藤井よりも余計この必要を認めなければならない地位に立っていた。その上岡本の叔父には普通の成功者に附随する一種の如才《じょさい》なさがあった。持って生れた楽天的な広い横断面《おうだんめん》もあった。神経質な彼はまた誤解を恐れた。ことに生計向《くらしむき》に不自由のないものが、比較的貧しい階級から受けがちな尊大|不遜《ふそん》の誤解を恐れた。多年の多忙と勉強のために損なわれた健康を回復するために、当分閑地についた昨今の彼には、時間の余裕も充分あった。その時間の空虚なところを、自分の趣味に適《かな》う模細工《モザイック》で毎日|埋《う》めて行く彼は、今まで自分と全く縁故のないものとして、平気で通り過ぎた人や物にだんだん接近して見ようという意志ももっていた。
これらの原因が困絡《こんがら》がって、叔父は時々藤井の宅《うち》へ自分の方から出かけて行く事があった。排外的に見える藤井は、律義《りちぎ》に叔父の訪問を返そうともしなかったが、そうかと云って彼を厭《いや》がる様子も見せなかった。彼らはむしろ快よく談じた。底《そこ》まで打ち解けた話はできないにしたところで、ただ相互の世界を交換するだけでも、多少の興味にはなった。その世界はまた妙に食い違っていた。一方から見るといかにも迂濶《うかつ》なものが、他方から眺めるといかにも高尚であったり、片側で卑俗と解釈しなければならないものを、向うでは是非とも実際的に考えたがったりするところに、思わざる発見がひょいひょい出て来た。
「つまり批評家って云うんだろうね、ああ云う人の事を。しかしあれじゃ仕事はできない」
お延は批評家という意味をよく理解しなかった。実際の役に立たないから、口先で偉そうな事を云って他《ひと》をごまかすんだろうと思った。「仕事ができなくって、ただ理窟《りくつ》を弄《もてあそ》んでいる人、そういう人に世間はどんな用があるだろう。そういう人が物質上相当の報酬を得ないで困るのは当然ではないか」。これ以上進む事のできなかった彼女は微笑しながら訊《き》いた。
「近頃藤井さんへいらしって」
「うんこないだもちょっと散歩の帰りに寄ったよ。草臥《くたび》れた時、休むにはちょうど都合の好い所にある宅だからね、あすこは」
「また何か面白いお話しでもあって」
「相変らず妙な事を考えてるね、あの男は。こないだは、男が女を引張り、女がまた男を引張るって話をさかんにやって来た」
「あら厭《いや》だ」
「馬鹿らしい、好い年をして」
お延と叔母はこもごも呆《あき》れたような言葉を出す間に、継子だけはよそを向いた。
「いや妙な事があるんだよ。大将なかなか調べているから感心だ。大将のいうところによると、こうなんだ。どこの宅《うち》でも、男の子は女親を慕い、女の子はま
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