終《しじゅう》自分を抑えつけて、なるべく心の色を外へ出さないようにしていた。そこに彼の誇りがあると共に、そこに一種の不快も潜《ひそ》んでいたことは、彼の気分が彼に教える事実であった。
半日以上の暇を潰《つぶ》したこの久しぶりの訪問を、単にこういう快不快の立場から眺めた津田は、すぐその対照として活溌《かっぱつ》な吉川夫人とその綺麗《きれい》な応接間とを記憶の舞台に躍《おど》らした。つづいて近頃ようやく丸髷《まるまげ》に結い出したお延《のぶ》の顔が眼の前に動いた。
彼は座を立とうとして小林を顧《かえり》みた。
「君はまだいるかね」
「いや。僕ももう御暇《おいとま》しよう」
小林はすぐ吸い残した敷島《しきしま》の袋を洋袴《ズボン》の隠袋《かくし》へねじ込んだ。すると彼らの立《た》ち際《ぎわ》に、叔父が偶然らしくまた口を開いた。
「お延はどうしたい。行こう行こうと思いながら、つい貧乏暇なしだもんだから、御無沙汰《ごぶさた》をしている。宜《よろ》しく云ってくれ。お前の留守にゃ閑《ひま》で困るだろうね、彼《あ》の女《おんな》も。いったい何をして暮してるかね」
「何って別にする事もないでしょうよ」
こう散漫に答えた津田は、何と思ったか急に後《あと》からつけ足した。
「病院へいっしょに入りたいなんて気楽な事をいうかと思うと、やれ髪を刈れの湯に行けのって、叔母さんよりもよっぽどやかましい事を云いますよ」
「感心じゃないか。お前のようなお洒落《しゃれ》にそんな注意をしてくれるものはほかにありゃしないよ」
「ありがたい仕合せだな」
「芝居《しばや》はどうだい。近頃行くかい」
「ええ時々行きます。この間も岡本から誘われたんだけれども、あいにくこの病気の方の片をつけなけりゃならないんでね」
津田はそこでちょっと叔母の方を見た。
「どうです、叔母さん、近い内帝劇へでも御案内しましょうか。たまにゃああいう所へ行って見るのも薬ですよ、気がはればれしてね」
「ええありがとう。だけど由雄さんの御案内じゃ――」
「お厭ですか」
「厭より、いつの事だか分らないからね」
芝居場《しばいば》などを余り好まない叔母のこの返事を、わざと正面に受けた津田は頭を掻《か》いて見せた。
「そう信用がなくなった日にゃ僕もそれまでだ」
叔母はふふんと笑った。
「芝居はどうでもいいが、由雄さん京都の方はどうして、それから」
「京都から何とか云って来ましたかこっちへ」
津田は少し真剣な表情をして、叔父と叔母の顔を見比べた。けれども二人は何とも答えなかった。
「実は僕の所へ今月は金を送れないから、そっちでどうでもしろって、お父さんが云って来たんだが、ずいぶん乱暴じゃありませんか」
叔父は笑うだけであった。
「兄貴《あにき》は怒ってるんだろう」
「いったいお秀《ひで》がまた余計な事を云ってやるからいけない」
津田は少し忌々《いまいま》しそうに妹の名前を口にした。
「お秀に咎《とが》はありません。始めから由雄さんの方が悪いにきまってるんだもの」
「そりゃそうかも知れないけれども、どこの国にあなた阿爺《おやじ》から送って貰った金を、きちんきちん返す奴《やつ》があるもんですか」
「じゃ最初からきちんきちん返すって約束なんかしなければいいのに。それに……」
「もう解りましたよ、叔母さん」
津田はとても敵《かな》わないという心持をその様子に見せて立ち上がった。しかし敗北の結果急いで退却する自分に景気を添えるため、促《うな》がすように小林を引張って、いっしょに表へ出る事を忘れなかった。
三十三
戸外《そと》には風もなかった。静かな空気が足早に歩く二人の頬《ほお》に冷たく触れた。星の高く輝やく空から、眼に見えない透明な露《つゆ》がしとしと降りているらしくも思われた。津田は自分で外套《がいとう》の肩を撫《な》でた。その外套の裏側に滲《し》み込んでくるひんやりした感じを、はっきり指先で味わって見た彼は小林を顧《かえり》みた。
「日中《にっちゅう》は暖《あった》かだが、夜になるとやっぱり寒いね」
「うん。何と云ってももう秋だからな。実際外套が欲しいくらいだ」
小林は新調の三《み》つ揃《ぞろい》の上に何にも着ていなかった。ことさらに爪先《つまさき》を厚く四角に拵《こしら》えたいかつい亜米利加型《アメリカがた》の靴をごとごと鳴らして、太い洋杖《ステッキ》をわざとらしくふり廻す彼の態度は、まるで冷たい空気に抵抗する示威運動者に異《こと》ならなかった。
「君学校にいた時分作ったあの自慢の外套はどうした」
彼は突然意外な質問を津田にかけた。津田は彼にその外套を見せびらかした当時を思い出さない訳に行かなかった。
「うん、まだあるよ」
「まだ着ているのか」
「いくら僕が貧乏だって
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