て見たりした。やっとの事で、下女の足音が廊下の曲り角に聴《きこ》えた時に、わざと取り繕《つくろ》った余裕を外側へ示したくなるほど、彼の心はそわそわしていた。
「どうしたね」
「お待遠さま。大変遅かったでしょう」
「なにそうでもないよ」
「少しお手伝いをしていたもんですから」
「何の?」
「お部屋を片づけてね、それから奥さんの御髪《おぐし》を結《い》って上げたんですよ。それにしちゃ早いでしょう」
 津田は女の髷《まげ》がそんなに雑作《ぞうさ》なく結《ゆ》える訳のものでないと思った。
「銀杏返《いちょうがえ》しかい、丸髷《まるまげ》かい」
 下女は取り合わずにただ笑い出した。
「まあ行って御覧なさい」
「行って御覧なさいって、行っても好いのかい。その返事を先刻《さっき》からこうして待ってるんじゃないか」
「おやどうもすみません、肝心《かんじん》のお返事を忘れてしまって。――どうぞおいで下さいましって」
 やっと安心した津田は、立上りながらわざと冗談半分《じょうだんはんぶん》に駄目《だめ》を押した。
「本当かい。迷惑じゃないかね。向《むこう》へ行ってから気の毒な思いをさせられるのは厭《いや》だからね」
「旦那様《だんなさま》はずいぶん疑《うたぐ》り深《ぶか》い方《かた》ですね。それじゃ奥さんもさぞ――」
「奥さんとは誰だい、関の奥さんかい、それとも僕の奥さんかい」
「どっちだか解ってるじゃありませんか」
「いや解らない」
「そうでございますか」
 兵児帯《へこおび》を締め直した津田の後《うし》ろへ廻った下女は、室《へや》を出ようとする背中から羽織をかけてくれた。
「こっちかい」
「今御案内を致します」
 下女は先へ立った。夢遊病者《むゆうびょうしゃ》として昨夕《ゆうべ》彷徨《さまよ》った記憶が、例の姿見《すがたみ》の前へ出た時、突然津田の頭に閃《ひら》めいた。
「ああここだ」
 彼は思わずこう云った。事情を知らない下女は無邪気に訊《き》き返した。
「何がです」
 津田はすぐごまかした。
「昨夕僕が幽霊に出会ったのはここだというのさ」
 下女は変な顔をした。
「馬鹿をおっしゃい。宅《うち》に幽霊なんか出るもんですか。そんな事をおっしゃると――」
 客商売をする宿に対して悪い洒落《しゃれ》を云ったと悟った津田は、賢《かし》こく二階を見上げた。
「この上だろう、関さんのお室は」
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