「ええ、よく知ってらっしゃいますね」
「うん、そりゃ知ってるさ」
「天眼通《てんがんつう》ですね」
「天眼通じゃない、天鼻通《てんびつう》と云って万事鼻で嗅《か》ぎ分《わ》けるんだ」
「まるで犬見たいですね」
 階子段《はしごだん》の途中で始まったこの会話は、上《あが》り口《くち》の一番近くにある清子の部屋からもう聴き取れる距離にあった。津田は暗《あん》にそれを意識した。
「ついでに僕が関さんの室を嗅ぎ分けてやるから見ていろ」
 彼は清子の室の前へ来て、ぱたりとスリッパーの音を止《と》めた。
「ここだ」
 下女は横眼で津田の顔を睨《にら》めるように見ながら吹き出した。
「どうだ当ったろう」
「なるほどあなたの鼻はよく利《き》きますね。猟犬《りょうけん》よりたしかですよ」
 下女はまた面白そうに笑ったが、室の中からはこの賑《にぎ》やかさに対する何の反応も出て来なかった。人がいるかいないかまるで分らない内側は、始めと同じように索寞《ひっそり》していた。
「お客さまがいらっしゃいました」
 下女は外部《そと》から清子に話しかけながら、建てつけの好い障子《しょうじ》をすうと開けてくれた。
「御免下さい」
 一言《いちごん》の挨拶《あいさつ》と共に室《へや》の中に入った津田はおやと思った。彼は自分の予期通り清子をすぐ眼の前に見出し得なかった。

        百八十三

 室は二間続《ふたまつづ》きになっていた。津田の足を踏み込んだのは、床《とこ》のない控えの間の方であった。黒柿の縁《ふち》と台の付いた長方形の鏡の前に横竪縞《よこたてじま》の厚い座蒲団《ざぶとん》を据《す》えて、その傍《かたわら》に桐《きり》で拵《こし》らえた小型の長火鉢《ながひばち》が、普通の家庭に見る茶の間の体裁《ていさい》を、小規模ながら髣髴《ほうふつ》せしめた。隅《すみ》には黒塗の衣桁《いこう》があった。異性に附着する花やかな色と手触《てざわ》りの滑《すべ》こそうな絹の縞《しま》が、折り重なってそこに投げかけられていた。
 間《あい》の襖《ふすま》は開け放たれたままであった。津田は正面に当る床の間に活立《いけたて》らしい寒菊の花を見た。前には座蒲団が二つ向い合せに敷いてあった。濃茶《こげちゃ》に染めた縮緬《ちりめん》のなかに、牡丹《ぼたん》か何かの模様をたった一つ丸く白に残したその敷物は、品柄から
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