くれそうもなしと。何しろ日の短かい上へ持って来て、気が短かいと来てるんだから、安閑としちゃいられねえ。――どうです皆さん一つ降りて車を押してやろうじゃありませんか」
 爺さんはこう云いながら元気よく真先に飛び降りた。残るものは苦笑しながら立ち上った。津田も独《ひと》り室内に坐《すわ》っている訳に行かなくなったので、みんなといっしょに地面の上へ降り立った。そうして黄色に染められた芝草の上に、あっけらかんと立っている婦人を後《うしろ》にして、うんうん車を押した。
「や、いけねえ、行き過ぎちゃった」
 車はまた引き戻された。それからまた前へ押し出された。押し出したり引き戻したり二三度するうちに、脱線はようやく片づいた。
「また後《おく》れちまったよ、大将、お蔭《かげ》で」
「誰のお蔭でさ」
「軽便のお蔭でさ。だがこんな事でもなくっちゃ眠くっていけねえや」
「せっかく遊びに来た甲斐《かい》がないだろう」
「全くだ」
 津田は後れた時間を案じながら、教えられた停車場《ステーション》で、この元気の好い老人と別れて、一人|薄暮《ゆうぐれ》の空気の中に出た。

        百七十一

 靄《もや》とも夜の色とも片づかないものの中にぼんやり描き出された町の様はまるで寂寞《せきばく》たる夢であった。自分の四辺《しへん》にちらちらする弱い電灯の光と、その光の届かない先に横《よこた》わる大きな闇《やみ》の姿を見較《みくら》べた時の津田にはたしかに夢という感じが起った。
「おれは今この夢見たようなものの続きを辿《たど》ろうとしている。東京を立つ前から、もっと几帳面《きちょうめん》に云えば、吉川夫人にこの温泉行を勧められない前から、いやもっと深く突き込んで云えば、お延と結婚する前から、――それでもまだ云い足りない、実は突然清子に背中を向けられたその刹那《せつな》から、自分はもうすでにこの夢のようなものに祟《たた》られているのだ。そうして今ちょうどその夢を追《おっ》かけようとしている途中なのだ。顧《かえり》みると過去から持ち越したこの一条《ひとすじ》の夢が、これから目的地へ着くと同時に、からりと覚めるのかしら。それは吉川夫人の意見であった。したがって夫人の意見に賛成し、またそれを実行する今の自分の意見でもあると云わなければなるまい。しかしそれははたして事実だろうか。自分の夢ははたして綺麗に拭
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