余ってる国よ、あなた。お嫁なんかどんなのでもそこいらにごろごろ転がってるじゃありませんか」
お延はこう云ったあとで、これは少し云い過ぎたと思った。しかし相手は平気であった。もっと強くて烈《はげ》しい言葉に平生から慣れ抜いている彼の神経は全く無感覚であった。
「いくら女が余っていても、これから駈《か》け落《おち》をしようという矢先ですからね、来ッこありませんよ」
駈落という言葉が、ふと芝居でやる男女二人《なんにょふたり》の道行《みちゆき》をお延に想《おも》い起させた。そうした濃厚な恋愛を象《かた》どる艶《なま》めかしい歌舞伎姿《かぶきすがた》を、ちらりと胸に描いた彼女は、それと全く縁の遠い、他《ひと》の着古した外套《がいとう》を貰うために、今自分の前に坐っている小林を見て微笑した。
「駈落《かけおち》をなさるのなら、いっそ二人でなすったらいいでしょう」
「誰とです」
「そりゃきまっていますわ。奥さんのほかに誰も伴《つ》れていらっしゃる方はないじゃありませんか」
「へえ」
小林はこう云ったなり畏《かしこ》まった。その態度が全くお延の予期に外《はず》れていたので、彼女は少し驚ろかされた。そうしてかえって予期以上おかしくなった。けれども小林は真面目《まじめ》であった。しばらく間《ま》をおいてから独《ひと》り言《ごと》のような口調で、彼は妙なことを云い出した。
「僕だって朝鮮|三界《さんがい》まで駈落のお供をしてくれるような、実《じつ》のある女があれば、こんな変な人間にならないで、すんだかも知れませんよ。実を云うと、僕には細君がないばかりじゃないんです。何にもないんです。親も友達もないんです。つまり世の中がないんですね。もっと広く云えば人間がないんだとも云われるでしょうが」
お延は生れて初めての人に会ったような気がした。こんな言葉をまだ誰の口からも聞いた事のない彼女は、その表面上の意味を理解するだけでも困難を感じた。相手をどう捌《こ》なしていいかの点になると、全く方角が立たなかった。すると小林の態度はなお感慨を帯びて来た。
「奥さん、僕にはたった一人の妹《いもと》があるんです。ほかに何にもない僕には、その妹が非常に貴重に見えるのです。普通の人の場合よりどのくらい貴重だか分りゃしません。それでも僕はその妹をおいて行かなければならないのです。妹は僕のあとへどこまでも喰ッつ
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