ぬい》にした籃入《かごいり》のピンクッションもそのままであった。二人してお対《つい》に三越から買って来た唐草《からくさ》模様の染付《そめつけ》の一輪挿《いちりんざし》もそのままであった。
 四方を見廻したお延は、従妹《いとこ》と共に暮した処女時代の匂《におい》を至る所に嗅《か》いだ。甘い空想に充《み》ちたその匂が津田という対象を得てついに実現された時、忽然《こつぜん》鮮《あざ》やかな※[#「(諂−言)+炎」、第3水準1−87−64]《ほのお》に変化した自己の感情の前に抃舞《べんぶ》したのは彼女であった。眼に見えないでも、瓦斯《ガス》があったから、ぱっと火が点《つ》いたのだと考えたのは彼女であった。空想と現実の間には何らの差違を置く必要がないと論断したのは彼女であった。顧《かえり》みるとその時からもう半年《はんとし》以上経過していた。いつか空想はついに空想にとどまるらしく見え出して来た。どこまで行っても現実化されないものらしく思われた。あるいは極《きわ》めて現実化され悪《にく》いものらしくなって来た。お延の胸の中《うち》には微《かす》かな溜息《ためいき》さえ宿った。
「昔は淡い夢のように、しだいしだいに確実な自分から遠ざかって行くのではなかろうか」
 彼女はこういう観念の眼で、自分の前に坐《すわ》っている従妹を見た。多分は自分と同じ径路を踏んで行かなければならない、またひょっとしたら自分よりもっと予期に外《はず》れた未来に突き当らなければならないこの処女の運命は、叔父の手にある諾否の賽《さい》が、畳の上に転がり次第、今明日中にでも、永久に片づけられてしまうのであった。
 お延は微笑した。
「継子さん、今日はあたしがお神籤《みくじ》を引いて上げましょうか」
「なんで?」
「何でもないのよ。ただよ」
「だってただじゃつまらないわ。何かきめなくっちゃ」
「そう。じゃきめましょう。何がいいでしょうね」
「何がいいか、そりゃあたしにゃ解らないわ。あなたがきめて下さらなくっちゃ」
 継子は容易に結婚問題を口へ出さなかった。お延の方からむやみに云い出されるのも苦痛らしかった。けれども間接にどこかでそこに触れて貰《もら》いたい様子がありありと見えた。お延は従妹《いとこ》を喜《よろ》こばせてやりたかった。と云って、後で自分の迷惑になるような責任を持つのは厭《いや》であった。
「じゃあた
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