合の藤井は、津田との関係上、今では以前よりよほど叔父に縁の近い人であった。これも自分に対する好意からだと解釈しながら、お延は別に嬉《うれ》しいと思う気にもなれなかった。藤井一家と津田、二つのものが離れているよりも、はるか余計に、彼女は彼らより離れていた。
「しかし来るかな」といった叔父の顔は、まさにお延の腹の中を物語っていた。
「近頃みんなおれの事を隠居隠居っていうが、あの男の隠居主義と来たら、遠い昔からの事で、とうていおれなどの及ぶところじゃないんだからな。ねえ、お延、藤井の叔父さんは飯を食いに来いったら、来るかい」
「そりゃどうだかあたしにゃ解らないわ」
叔母は婉曲《えんきょく》に自己を表現した。
「おおかたいらっしゃらないでしょう」
「うん、なかなかおいそれとやって来そうもないね。じゃ止《よ》すか。――だがまあ試しにちょっと掛けてみるがいい」
お延は笑い出した。
「掛けてみるったって、あすこにゃ電話なんかありゃしないわ」
「じゃ仕方がない。使でもやるんだ」
手紙を書くのが面倒だったのか、時間が惜しかったのか、叔父はそう云ったなりさっさと庭口の方へ歩いて行った。叔母も「じゃあたしは御免蒙《ごめんこうむ》ってお先へお湯に入ろう」と云いながら立ち上った。
叔父の潔癖を知って、みんなが遠慮するのに、自分だけは平気で、こんな場合に、叔父の言葉通り断行して顧《かえり》みない叔母の態度は、お延にとって羨《うらや》ましいものであった。また忌《いま》わしいものであった。女らしくない厭《いや》なものであると同時に、男らしい好いものであった。ああできたらさぞ好かろうという感じと、いくら年をとってもああはやりたくないという感じが、彼女の心にいつもの通り交錯《こうさく》した。
立って行く叔母の後姿《うしろすがた》を彼女がぼんやり目送《もくそう》していると、一人残った継子が突然誘った。
「あたしのお部屋へ来なくって」
二人は火鉢《ひばち》や茶器で取り散らされた座敷をそのままにして外へ出た。
七十
継子の居間はとりも直さず津田に行く前のお延の居間であった。そこに机を並べて二人いた昔の心持が、まだ壁にも天井《てんじょう》にも残っていた。硝子戸《ガラスど》を篏《は》めた小さい棚《たな》の上に行儀よく置かれた木彫の人形もそのままであった。薔薇《ばら》の花を刺繍《
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