》れているけれども」
 もと請負師《うけおいし》か何かの妾宅《しょうたく》に手を入れて出来上ったその医院の二階には、どことなく粋《いき》な昔の面影《おもかげ》が残っていた。
「古いけれども宅《うち》の二階よりましかも知れないね」
 日に照らされてきらきらする白い洗濯物の色を、秋らしい気分で眺めていた津田は、こう云って、時代のために多少|燻《くす》ぶった天井《てんじょう》だの床柱《とこばしら》だのを見廻した。

        四十一

 そこへ先刻《さっき》の看護婦が急須《きゅうす》へ茶を淹《い》れて持って来た。
「今|仕度《したく》をしておりますから、少しの間どうぞ」
 二人は仕方なしに行儀よく差向いに坐ったなり茶を飲んだ。
「何だか気がそわそわして落ちつかないのね」
「まるでお客さまに行ったようだろう」
「ええ」
 お延は帯の間から女持の時計を出して見た。津田は時間の事よりもこれから受ける手術の方が気になった。
「いったい何分ぐらいで済むのかなあ。眼で見ないでもあの刃物《はもの》の音だけ聞いていると、好い加減変な心持になるからな」
「あたし怖《こわ》いわ、そんなものを見るのは」
 お延は実際怖そうに眉《まゆ》を動かした。
「だからお前はここに待っといでよ。わざわざ手術台の傍《そば》まで来て、穢《きた》ないところを見る必要はないんだから」
「でもこんな場合には誰か身寄《みより》のものが立ち合わなくっちゃ悪いんでしょう」
 津田は真面目《まじめ》なお延の顔を見て笑い出した。
「そりゃ死ぬか生きるかっていうような重い病気の時の事だね。誰がこれしきの療治に立合人《たちあいにん》なんか呼んで来る奴《やつ》があるものかね」
 津田は女に穢《きた》ないものを見せるのが嫌《きらい》な男であった。ことに自分の穢ないところを見せるは厭《いや》であった。もっと押しつめていうと、自分で自分の穢ないところを見るのでさえ、普通の人以上に苦痛を感ずる男であった。
「じゃ止《よ》しましょう」と云ったお延はまた時計を出した。
「お午《ひる》までに済むでしょうか」
「済むだろうと思うがね。どうせこうなりゃいつだって同《おん》なじこっちゃないか」
「そりゃそうだけど……」
 お延は後を云わなかった。津田も訊《き》かなかった。
 看護婦がまた階子段《はしごだん》の上へ顔を出した。
「支度《したく》がで
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