を建てるより文学者になれといいました。当人が文学者になれといったのはよほどの自信があったからでしょう。私はそれで建築家になる事をふっつり思い止《とど》まりました。私の考《かんがえ》は金をとって、門前市をなして、頑固で、変人で、というのでしたけれども、米山は私よりは大変えらいような気がした。二人くらべると私が如何《いか》にも小《ちっ》ぽけなように思われたので、今までの考をやめてしまったのです。そして文学者になりました。その結果は――分りません。恐らく死ぬまで分らないでしょう。それで私とあなた方とは専門が違う事になったのですが、この会は文芸の会で、ベルグソンなども出るようですから、多少は共通している処もあるようにも思われます。それでまあ私も御話をするというような訳であります。よく講演なんていうと西洋人の名前なんか出て来てききにくい人もあるようですが、私の今日の御話には片仮名《かたかな》の名前なんか一つもでてきません。
私はかつて或所で頼まれて講演した時、「日本現代の開化」という題で話しました。今日は題はない。分らなかったから、こしらえませんでした。
その講演のとき開化の definition を定めました。開化とは人間の energy の発現の径路《けいろ》で、この活力が二つの異《ことな》った方向に延びて行って入り乱れて出来たので、その一つは活力節約の移動といって energy を節約せんとする吾人《ごじん》の努力、他の一つは活力を消耗せんとする趣向《しゅこう》、即ち consumption of energy である。この二つが開化を構成する大なる factors で、これ以外には何もない。故《ゆえ》にこの二つのものは開化の factors として sufficient and necessary である。
それで第一の活力を節約せんとする努力は種々の方向へ出るが、先ず距離をつめる、時間を節約する。手でやれば一時間かかる事も、機械で三十分でやってしまう。あるいは手でやれば一時間かかって一つ出来る所を、十も二十もつくる。そうしてわれわれの生活の便を計《はか》るのです。これがあなた方の専門のものであります。他の factor 即ち consumption of energy の努力は積極的のもので、或《ある》種の人達からは国力等の立場より見做《みな》して消極的なもの
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