で仁王《におう》を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評《げばひょう》をやっていた。
山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜《なな》めに山門の甍《いらか》を隠して、遠い青空まで伸《の》びている。松の緑と朱塗《しゅぬり》の門が互いに照《うつ》り合ってみごとに見える。その上松の位地が好い。門の左の端を眼障《めざわり》にならないように、斜《はす》に切って行って、上になるほど幅を広く屋根まで突出《つきだ》しているのが何となく古風である。鎌倉時代とも思われる。
ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。その中《うち》でも車夫が一番多い。辻待《つじまち》をして退屈だから立っているに相違ない。
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を拵《こしら》えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。
そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫《ほ》るのかね。へえそうかね。私《わっし》ゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。
「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰
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