処だったね」
「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。
「文化五年|辰年《たつどし》だろう」
 なるほど文化五年辰年らしく思われた。
「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」
 自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然《こつぜん》として頭の中に起った。おれは人殺《ひとごろし》であったんだなと始めて気がついた途端《とたん》に、背中の子が急に石地蔵のように重くなった。

     第四夜

 広い土間の真中に涼み台のようなものを据《す》えて、その周囲《まわり》に小さい床几《しょうぎ》が並べてある。台は黒光りに光っている。片隅《かたすみ》には四角な膳《ぜん》を前に置いて爺《じい》さんが一人で酒を飲んでいる。肴《さかな》は煮しめらしい。
 爺さんは酒の加減でなかなか赤くなっている。その上顔中つやつやして皺《しわ》と云うほどのものはどこにも見当らない。ただ白い髯《ひげ》をありたけ生《は》やしているから年寄《としより》と云う事だけはわかる。自分は子供ながら、この爺さんの年はいくつなんだろうと思った。ところへ
前へ 次へ
全41ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング