。怪《け》しからん。
隣の広間の床に据《す》えてある置時計が次の刻《とき》を打つまでには、きっと悟って見せる。悟った上で、今夜また入室《にゅうしつ》する。そうして和尚の首と悟りと引替《ひきかえ》にしてやる。悟らなければ、和尚の命が取れない。どうしても悟らなければならない。自分は侍である。
もし悟れなければ自刃《じじん》する。侍が辱《はずか》しめられて、生きている訳には行かない。綺麗《きれい》に死んでしまう。
こう考えた時、自分の手はまた思わず布団《ふとん》の下へ這入《はい》った。そうして朱鞘《しゅざや》の短刀を引《ひ》き摺《ず》り出した。ぐっと束《つか》を握って、赤い鞘を向へ払ったら、冷たい刃《は》が一度に暗い部屋で光った。凄《すご》いものが手元から、すうすうと逃げて行くように思われる。そうして、ことごとく切先《きっさき》へ集まって、殺気《さっき》を一点に籠《こ》めている。自分はこの鋭い刃が、無念にも針の頭のように縮《ちぢ》められて、九寸《くすん》五分《ごぶ》の先へ来てやむをえず尖《とが》ってるのを見て、たちまちぐさりとやりたくなった。身体《からだ》の血が右の手首の方へ流れて来て、握っている束がにちゃにちゃする。唇《くちびる》が顫《ふる》えた。
短刀を鞘へ収めて右脇へ引きつけておいて、それから全伽《ぜんが》を組んだ。――趙州《じょうしゅう》曰く無《む》と。無とは何だ。糞坊主《くそぼうず》めとはがみをした。
奥歯を強く咬《か》み締《し》めたので、鼻から熱い息が荒く出る。こめかみが釣って痛い。眼は普通の倍も大きく開けてやった。
懸物《かけもの》が見える。行灯が見える。畳《たたみ》が見える。和尚の薬缶頭《やかんあたま》がありありと見える。鰐口《わにぐち》を開《あ》いて嘲笑《あざわら》った声まで聞える。怪《け》しからん坊主だ。どうしてもあの薬缶を首にしなくてはならん。悟ってやる。無だ、無だと舌の根で念じた。無だと云うのにやっぱり線香の香《におい》がした。何だ線香のくせに。
自分はいきなり拳骨《げんこつ》を固めて自分の頭をいやと云うほど擲《なぐ》った。そうして奥歯をぎりぎりと噛《か》んだ。両腋《りょうわき》から汗が出る。背中が棒のようになった。膝《ひざ》の接目《つぎめ》が急に痛くなった。膝が折れたってどうあるものかと思った。けれども痛い。苦しい。無《む》はなかな
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