くれる。余も好かろうと答えた。すると、大した案内にも及ぶまいと笑いながら相談を掛けた。我々は一私人で、ただ遊覧に来たのだから、公《おおやけ》の職務を帯びている人を使ってはすまないが、せっかく案内をつけてくれると云うなら、小使でも何でも構わない。非番《ひばん》か閑散の人を一人世話してくれと頼んだ。これは正直恐れ入った本当の謙遜《けんそん》である。その時佐藤は懐中から自分の名刺を出して、端の方に鉛筆で何か書いて、じゃ明日《あした》の朝八時にこの人が来るから、来たらいっしょに行くが好いと云って分れた。
 明日の朝の八時は例《いつも》の通り強い日が空にも山にも港にも一面に輝いていた。馬車を棄《す》てて山にかかったときなどは、その強い日の光が毛孔《けあな》から総身《そうしん》に浸込《しみこ》むように空気が澄徹《ちょうてつ》していた。相変らず樹《き》のない山で、山の上には日があるばかりだから、眼の向く所は、左右ともに、また前後ともに、どこまでも朗らかである。その明かな足元から、ばっと音がして、何物だか飛び出した。案内の市川君が鶉《うずら》ですと云ったので始めてそうかと気がついたくらい早く、鶉は眼を
前へ 次へ
全178ページ中90ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング