や》していた。当時余は寒雀とはどんなものか知らなかった。けれども佐藤の頭のようなものが寒雀なんだろうと思って、いっしょになってやっぱり寒雀寒雀と調戯《からか》った。この渾名《あだな》を発明した男はその後技師になって今は北海道にいる。
 話が前後するようだが、旅順に来て十何年ぶりかに佐藤に逢って、例の頭を注意して見ると、不思議な事に、その頭には万遍《まんべん》なく綿密に毛が生えていた。もっとも黒いのばかりではなかった。近頃は正当|防禦《ぼうぎょ》のために、こう短く刈っているんだと云って、三分刈の濃い頭を笑いながら掻《か》いて見せた。
 旅順から二度目の電話がかかった翌日の朝、橋本と余は、この旧友に逢うため、また日露の戦跡を観《み》るため、大連から汽車に乗った。乗る時、是公が友熊《ともくま》によろしくと云った。是公は何か用事があったと見えて、国沢君と二人で停車場《ステーション》の構内を横切って妙な方角へ向いて歩いて行った。やがて二人の影は物に遮《さえ》ぎられて、汽車の窓から見えなくなった。そうして満洲に有名な高粱《こうりょう》の色が始めて眼底に映じ出した。汽車は広い野の中に出たのである。

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