な声を出すべきところを、無言のまますたすた敷台から教場の中へ這入《はい》って来た。この郵便屋がすなわち佐藤であったので大いに感心した。なぜ鉄瓶を提《さ》げていたものかその理由《わけ》は今日《こんにち》までついに聞く機会がない。
その後《ご》佐藤は成立学舎の寄宿へ這入った。そこで賄《まかない》征伐をやった時、どうした機勢《はずみ》か額に創《きず》をして、しばらくの間|白布《しろぬの》で頭を巻いていたが、それが、後鉢巻《うしろはちまき》のようにいかにも勇ましく見えた。賄に擲《なぐ》られたなと調戯《からか》って苛《ひど》い目に逢《あ》ったので今にその颯爽《さっそう》たる姿を覚えている。
佐藤はその頃頭に毛の乏《とぼし》い男であった。無論老朽した禿《はげ》ではないのだが、まあ土質《どしつ》の悪い草原のように、一面に青々とは茂らなかったのである。漢語でいうと短髪種々《たんぱつしょうしょう》とでも形容したら好いのかも知れない。風が吹けば毛の方で一本一本に靡《なび》く傾《かたむき》があった。この頭は予備門へ這入っても黒くならなかった。それで皆《みんな》して佐藤の事を寒雀《かんすずめ》寒雀と囃《は
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