る。
 こう云う訳で余と因縁《いんねん》の浅からざる股野に、ここでひょっくり出逢《であ》うとは全く思いがけなかった。しかも、その家へ呼ばれて御馳走《ごちそう》になったり、二三日間朝から晩まで懇切に連れて歩いて貰ったり、昔日《せきじつ》の紛議《ふんぎ》を忘れて、旧歓《きゅうかん》を暖める事ができたのは望外《ぼうがい》の仕合《しあわせ》である。実を云うと、余は股野がまだ撫順《ぶじゅん》にいる事とばかり思っていた。
 余は大連で見物すべき満鉄の事業その他を、ここで河村さんと股野に、表《ひょう》のような形に拵《こしら》えて貰《もら》った。

        十二

 腹がしきりに痛むので、寝室へ退いて、長椅子の上に横になっていると、窓を撲《う》つ雨の音がしだいに繁《しげ》くなった。これじゃ舞踏会に行く連中も、だいぶ御苦労様な事になったものだと思って、ポッケットから招待状を出して寝ながら、また眺めて見た。絵葉書ぐらいの大きさの厚紙の一面には、歌麿《うたまろ》の美人が好い色に印刷されている。一面には中村是公同夫人連名で、夏目金之助を招待している。よくこんなものを拵える時間があったなと感心して、うと
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