は皆出ていた。それに一々紹介された。その中《うち》で昔見た田中君の顔を覚えていた。どうです始めて大連に御着きになった時の感想はと聞かれるから、そうです船から上がってこっちへ来る所は、まるで焼迹《やけあと》のようじゃありませんかと、正直な事を答えると、あすこはね、軍用地だものだから建物を拵《こしら》える訳に行かないんで、誰もそう云う感じがするんですと教えられた。
しばらく椅子に腰を掛けて、おとなしく執務の様子を見ていると、じき午《ひる》になった。さあ飯を食おうと、食堂へ案内された。ここへと云う席へ坐って、サーヴィエットを取り上げると、給仕が来て、それは国沢さんのですから、ただいま新しいのを持って参りますと云った。食堂は社の表二階にあたる大広間で、晩になれば、それが舞踏室に変化するほどの大きなものであった。これは社員全体に向って公開してあるのだそうだが、同じ食卓に着いた人の数を云うと、約三十人に過ぎなかった。この人数《にんず》から推して、あるいは制限でもありはせぬのかと思ったのは余の想像に過ぎなかった。
料理は大和《やまと》ホテルから持って来るのだそうで、同席の三十余人が、みな一様の皿
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