る、劇場がある、病院がある、学校がある、坑員の邸宅は無論あったが、いずれも東京の山の手へでも持って来て眺めたいものばかりであった。松田さんに聞いたら皆日本の技師の拵《こしら》えたものだと云われた。
市街から眼を放して反対の方角を眺めると、低い丘の起伏している向うに煙突の頭が二カ所ほど微《かす》かに見える。双方共距離はたしかに一里以上あるんだから広い炭坑に違ない。松田さんの話しによると、どこをどう掘っても一面の石炭だから、それを掘尽くすには百年でも二百年でもかかるんだそうである。我々の立っているつい傍《そば》でも、八百尺と九百尺のシャフトを抜いていた。
事務所へ帰って午餐《ひるめし》の御馳走《ごちそう》になったとき英国人は箸《はし》も持てず米も喰えず気の毒なものであった。この領事は支那に十八年とかいたと云うのに、二本の箸を如何《いかん》ともする事のできないのは案外である。その代り官話《かんわ》は達者だそうだ。松田さんは用事が忙《いそが》しいとかで、食卓へは出て来られなかった。接待役として松田さんに代った人は、英語で英国人に話したり、日本語で余等に話したりはなはだ多事であった。けれども
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