「を」]顔をして、これは夏目博士と引き合した。すると妻君が御名前はかねて伺っておりますと叮嚀《ていねい》に御辞儀《おじぎ》をされるから、余もやむをえず、はあと云ったなり博士らしく挨拶《あいさつ》をした。だから橋本が博士に慣れ切って満洲を朝鮮へ渡るに何も不思議はない。余もいったんは彼の博士を撤回したようなものの、日を重ねるに従ってまた何だか博士らしい気持がし出した。それで道中つつがなく安奉線《あんぽうせん》を通って、安東県《あんとうけん》までやって来た。ところがここで橋本の博士がちょっと気に食わなくなった。安東県の宿屋の番頭がどう云う不料簡《ふりょうけん》か、橋本博士御手荷物のうちと云う札を余の革鞄《かばん》にぴたぴた結《いわ》いつけてしまった。腹が立ったが面倒だからそのままにしておくと次の宿屋で橋本と分れる事になって、向うの手荷物を停車場《ステーション》へ運び出す際に、余の奇麗《きれい》な革鞄《かばん》を橋本のものだと思い込んで、宿屋の小僧がずんずん停車場まで持って行ってしまった。余は冗談じゃないぜと云った。橋本は面白がって笑っていた。それだから、また博士にならない。
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