。歌の意味も節も分らない余の耳にはこの音楽が一種異様に凄《すさま》じい響を伝えた。机の右にいる男が、右の手に筮竹《ぜいちく》のような物を持って、時々机の上を敲《たた》くと同時に左の掌《てのひら》に八橋《やつはし》と云う菓子に似た竹の片《きれ》を二つ入れて、それをかちかちと打合せながら、歌の調子を取る。趣向はスペインの女の用いるカスタネットに似ているが、その男の顔を見ると、アルハンブラの昔を思い出すどころではない。蒼黒《あおぐろ》く土気《つちけ》づいた色を、一心不乱に少女の頭の上に乗《の》しかけるように翳《かざ》して、腸《はらわた》を絞《しぼ》るほど恐ろしい声を出す。少女はまた瞬《またた》きもせず、この男の方を見つめて、細い咽喉《のど》を合している。それが怖《こわ》い魔物に魅入《みい》られて身動きのできない様子としか受取れない。盲目は彼の眼の暗いごとく、暗い顔をして、悲しい陰気な、しかも高い調子の胡弓を擦《す》り続《つづ》けに擦っている。左の方に立っている女の一人が余を見た。それが忌《い》むべき藪睨《やぶにらみ》であった。日の目の乏しくって暮やすい室のうちで、この怪しい団体はこの怪しい音
前へ 次へ
全178ページ中136ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング