はで》なスキ焼を眼前《がんぜん》に浮かべると、やはり小説じみた心持がした。

        三十

 朝食に鶉《うずら》を食わすから来いという案内である。朝飯《あさめし》の御馳走《ごちそう》には、ケムブリジに行ったときたしか浜口君に呼ばれた事があると云う記憶がぼんやり残っているだけだから、大変珍らしかった。もっとも午前十一時に立つ客に晩餐《ばんさん》を振舞う方法は、世界にないんだから仕方がない。鶉に至っては生れてからあんまり食った事がない。昔|正岡子規《まさおかしき》に、手紙をもってわざわざ大宮公園《おおみやこうえん》に呼び寄せられたとき、鶉だよと云って喰わせられたのが初めてぐらいなものである。その鶉の朝飯を拵《こしら》えるからと云って、特に招待するんだから、佐藤は物数奇《ものずき》に違いない。そうして、好いかほかに何にもない、鶉ばかりだよと念を押した。いったい鶉を何羽喰わせるつもりか知らんと思って、どこから貰ったのかと聞くと、いや鶉は旅順の名物だ、もう出る時分だからちょうど好かろうとすでに鶉を捕《と》ったような事を云っていた。
 白仁さんのところへ暇乞《いとまごい》に行ったので少し後《おく》れて着くと、スキ焼を推挙した田中君がもう来ていた。田中君も鶉の御相伴《おしょうばん》と見える。佐藤は食卓の準備を見るために、出たり這入《はい》ったりする。立派な仙台平《せんだいひら》の袴《はかま》を着けてはいるが、腰板《こしいた》の所が妙に口を開《あ》いて、まるで蛤《はまぐり》を割ったようである。そうして、それを後下《うしろさが》りに引《ひ》き摺《ず》っている。それでもって、さあ食おうと云って、次の間の食堂へ案内した。西洋流の食卓の上に、会席膳《かいせきぜん》を四つ並べて、いよいよ鶉の朝飯となった。
 まず御椀《おわん》の蓋《ふた》を取ると、鶉がいる。いわゆる鶉の御椀だから不思議もなく食べてしまった。皿の上にもいるが、これはたしか醤油で焼かれたようだ。これも旨《うま》く食べた。第三は何でも芋《いも》か何かといっしょに煮られたように記憶している。しかし遺憾《いかん》ながら、判然《はっきり》とその味を覚えていない。これらを漸次《ぜんじ》に平《たいら》げると、佐藤はまだあるよと云って、次の皿を取り寄せた。それも無論鶉には相違なかった。けれどもただ西洋流の油揚《あぶらあげ》にしてあるばかりで、ややともすると前の附焼《つけやき》と紛《まぎ》れやすかった。しかもこの紛れやすい油揚はだいぶ仕込んで有ったと見えて、まだ喰い切らない先に御代りが出て来た。
 かくのごとく鶉が豊富であったため、つい食べ過ぎた。余の胃の中に這入った骨だけの分量でもずいぶんある。大連へ帰って胃の痛みが増したとき、あまり鶉の骨を喰ったせいじゃなかろうかと橋本に相談したら、橋本は全くそうだろうと答えた。食事が終ってから応接間へ帰って来ると、佐藤が突然、時に君は何かやるそうじゃないかと聞いた。是公《ぜこう》に東京で逢《あ》ったとき、是公はにやにや笑いながら、いったい貴様は新聞社員だって、何か書いてるのかと聞いた。こう云う質問になると、是公も友熊も同程度のものである。
 何かやるなら一つ書いて行くが好いと云って、妙な短冊を出した。それを傍《そば》へ置いて話をしていると、一つ書こうじゃないかと催促する。今考えているところだと弁解すると、ああそうかと云って、また話をする。しまいに墨を磨って、とうとう手《て》を分《わか》つ古《ふる》き都《みやこ》や鶉《うずら》鳴《な》くと書いた。佐藤の事だから何を書いたって解るまいと思ったが、佐藤は短冊を取上げて、何だ年《とし》を分つ古き都やと読んでいた。
 鶉《うずら》の腹《はら》を抱《かか》えたなり、ホテルへ帰って勘定《かんじょう》を済まして、停車場《ステーション》へ駆《かけ》つけると、プラットフォームに大きな網籠《あみかご》があった。その中に鶉の生きたのがいっぱい這入《はい》って雛鳥《ひよっこ》を詰めたようにむくむく動いている。発車の時間に少し間があったので、田中君は籠の傍《そば》へ行って所有主と談判を始めた。余が近寄ったときは、一羽が三銭だとか四銭だとか云っていた。ところへ駅員が来て、宜《よろ》しゅうございます、この汽車へ積込んで御届け申しますと受合った。三人はとうとう鶉と別れて汽車へ乗った。

        三十一

 いよいよ腹が痛んだ。ゼムを噛《か》んだり、宝丹《ほうたん》を呑んだり、通じ薬をやったり、内地から持って来た散薬を用いたりする。毎日飯を食って呑気《のんき》に出歩いているようなものの、内心ではこりゃたまらないと思うくらいであった。大連の病院を見に行ったとき、苦《くる》し紛《まぎ》れに、案内をしてくれた院長の河西君《かさいくん》に向っ
前へ 次へ
全45ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング