掠《かす》めて、空濶《くうかつ》の中《うち》に消えてしまった。その迹《あと》を見上げると、遥《はるか》なる大きい鏡である。
その時我々はもう頂《いただき》近くにいた。ここいらへも砲丸《たま》が飛んで来たんでしょうなと聞くと、ここでやられたものは、多く味方の砲丸自身のためです。それも砲丸自身のためと云うより、砲丸が山へ当って、石の砕けたのを跳《は》ね返《かえ》したためです。こう云う傾斜のはなはだしい所ですから、いざと云う時に、すぐ遠くから駆《か》け寄せて敵を追《お》い退《の》ける訳に行きませんので、みんなこう云うところへ平たくなって噛《かじ》りついているのであります。そうして味方の砲丸が眼の前へ落ちて、一度に砂煙《すなけむり》が揚《あ》がるとその虚《きょ》に乗じて一間か二間ずつ這《は》い上がるのですから、勢い砂煙に交《まじ》る石のために身体中|創《きず》だらけになるのです。と市川君は詳しい説明を与えられた。
味方の砲弾《たま》でやられなければ、勝負のつかないような烈《はげ》しい戦《いくさ》は苛過《つらす》ぎると思いながら、天辺《てっぺん》まで上《のぼ》った。そこには道標《どうひょう》に似た御影《みかげ》の角柱《かくちゅう》が立っていた。その右を少しだらだらと降りたところが新《あらた》に土を掘返したごとく白茶《しらちゃ》けて見える。不思議な事にはところどころが黒ずんで色が変っている。これが石油を襤褸《ぼろ》に浸《し》み込《こ》まして、火を着けて、下から放《ほう》り抛《な》げたところですと、市川君はわざわざ崩《くず》れた土饅頭《どまんじゅう》の上まで降りて来た。その時|遥《はるか》下の方を見渡して、山やら、谷やら、畠《はたけ》やら、一々実地の地形について、当時の日本軍がどう云う径路《けいろ》をとって、ここへじりじり攻め寄せたかをついでながら物語られた。不幸にして、二百三高地の上までは来たようなものの、どっちが東でどっちが西か、方角がまるで分らない。ただ広々として、山の頭がいくつとなく起伏している一角に、藍色《あいいろ》の海が二カ処ほど平《ひら》たく見えるだけである。余はただ朗かな空の下に立って、市川君の指さす方《かた》を眺《なが》めていた。
自分でここへ攻め寄せて来た経験をもっている市川君の話は、はなはだ詳しいものであった。市川君の云うところによると、六月から十二月
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