。仕切は土嚢《どのう》を積んで作ったとかA君から聞いたように覚えている。上から頭を出せばすぐ撃《う》たれるから身体《からだ》を隠して乱射したそうだ。それに疲れると鉄砲をやめて、両側で話をやった事もあると云った。酒があるならくれと強請《ねだ》ったり、死体の収容をやるから少し待てと頼んだり、あんまり下らんから、もう喧嘩《けんか》はやめにしようと相談したり、いろいろの事を云い合ったと云う話である。
 三人は暗い廻廊を這い出して、また土山の上に立った。日は透《す》き徹《とお》るように明かるく坊主山《ぼうずやま》を照らしている。野菊に似た小さな花が処々に見える。じっと日を浴びて佇《たたず》んでいると、微《かす》かに虫の音《ね》がする。草の裏で鳴いているのか、崩れ掛った窖内《こうない》で鳴いているのか分らなかった。向うの方《かた》に支那人の影が二人見えたが、我々の姿を認めるや否や、草の中に隠れた。ああやって、何か掘りに来るんです。捕《つら》まると怖《こわ》いものだから、すぐに逃げます、なかなか取り抑えるのが困難ですとA君が苦笑した。
 後側《うしろがわ》へ回ると広い空堀《からぼり》の中に立派な二階建の兵舎がある。もとは橋をかけて渡ったものと思われるが、今では下りる事もできない。兵舎の背はもとより、山に囲われて、外からは見えなくなっている。三人は空濠《からぼり》を横に通り越してなお高く上った。とうとう四方にあるものは山の頭ばかりになった。そうしてそれが一つ残らず昔の砲台であった。中尉はそれらの名前をことごとく諳《そら》んじていた。余は遮《さえぎ》るもののない高い空の真下に立って、数限りもない山の背を見渡しながら、砲台巡《ほうだいめぐ》りも容易な事ではないと思った。

        二十六

 大連に着いてから二三日すると、満洲日々《まんしゅうにちにち》の伊藤君から滞留中《たいりゅうちゅう》に是非一度講演をやって貰いたいという依頼であった。ええ都合ができればと受合ったようなまた断ったような軽い挨拶《あいさつ》をして旅順に来た。するとその伊藤君が我々より一日前に同じ大和《やまと》ホテルに泊っていたので、ただ、やあ来ているねぐらいでは事がすまなくなった。伊藤君の話によると、余の承諾を得て講演を開くと云う事を、もう自分の新聞に広告してしまったと云うんだから、たちまち弱った。どうしてもや
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