つか》の船で馬関から乗るが、好いかと云う手紙が来た。それも、ちゃんと心得た。次には用事ができたから一船《ひとふね》延ばすがどうだと云う便《たよ》りがあった。これも訳なく承知した。しかし承知している最中に、突然急性胃カタールでどっとやられてしまった。こうなるといかに約束を重んずる余も、出発までに全快するかしないか自分で保証し悪《にく》くなって来た。胸へ差し込みが来ると、約束どころじゃない。馬関も御茶代も、是公も大連もめちゃめちゃになってしまう。世界がただ真黒な塊《かたまり》に見えた。それでも御供旅行の好奇心はどこかに潜《ひそ》んでいたと見えて、先へ行ってくれと云う事は一口も是公に云わなかった。
そのうち胃のところがガスか何かでいっぱいになった。茶碗の音などを聞くと腹が立った。人間は何の必要があって飯などを食うのか気の知れない動物だ、こうして氷さえ噛《かじ》っていれば清浄潔白《しょうじょうけっぱく》で何も不足はないじゃないかと云う気になった。枕元《まくらもと》で人が何か云うと、話をしなくっちあ生きていられないおしゃべりほど情ない下賤《げせん》なものはあるまいと思った。眼を開いて本棚《ほんだな》を見渡すと書物がぎっしり詰っている。その書物が一々違った色をしてそうしてことごとく別々な名を持っている。煩《わずら》わしい事|夥《おびただ》しい。何の酔興《すいきょう》でこんな差別をつけたものだろう、また何の因果《いんが》でそれを大事そうに列《なら》べ立てたものだろう。実にしち面倒臭い世の中だ。早く死んじまえと云う気になった。
禎二《ていじ》さんが蒲団《ふとん》の横へ来て、どうですと尋ねたが、返事をするのが馬鹿気《ばかげ》ていて何とも云う了見《りょうけん》にならない。代診が来て、これじゃ旅行は無理ですよ、医者として是非|止《と》めなくっちゃならないと説諭したが、御尤《ごもっと》もだとも不尤《ふもっと》もだとも答えるのが厭《いや》だった。
そのうち日は容赦なく経《た》った。病気は依然として元のところに逗留《とうりゅう》していた。とうとう出発の前日になって、電話で中村へ断った。中村は御大事になさいと云って先へ立ってしまった。
二
小蒸気《こじょうき》を出て鉄嶺丸《てつれいまる》の舷側《げんそく》を上《のぼ》るや否や、商船会社の大河平《おおかわひら》さんが、ど
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