るに肋骨君は支那好であると同時に、もっとも支那に縁の遠い性質《たち》の人である。
室《へや》は空《あ》いてるから来たまえとしきりに云ってくれるので、じゃ帰りに厄介になるかも知れないと云うとすぐ宜《よろ》しいと快諾したところだけは旨《うま》かったが、帰りには夜半《よなか》の汽車で奉天へ着く時間割だと橋本から聞くや否や、肋骨君はたちまち宿泊を断った。いや、あの汽車じゃ御免《ごめん》だと云う。もう一つの汽車が好いじゃないかと勧めるんだが、プログラムの全権があいにくこっちにないので、やむをえず、そんなら、もし夜半の汽車でなかったら泊めて貰おうと云う条件をつけた。すると肋骨君はまた宜しいと答えた。ところが帰りにはやっぱり予定通|夜半着《やはんちゃく》の汽車へ乗ったのでとうとう満鉄公所へは泊まれない事になった。満鉄公所で余の知らない所は寝室だけである。
四十九
右へ折れると往来とは云われないくらい広い所へ出たのでようやく安心した。これならば人を引殺す心配もなかろうと思って、案内をしてくれる、宿の番頭を相手に、行く行く話をした。満洲の日は例によって秋毫《しゅうごう》の先を鮮《あざや》かに照らすほどに思い切ったものである。眉深《まぶか》に鳥打帽を被《かぶ》っても、三日月形《みかづきがた》の廂《ひさし》では頬から下をどうする事もできないので、直下《じか》に射《い》りつけられる所は痛いくらいほてる。そこへ馬の蹄《ひづめ》に掻《か》き立てられた軽い埃《ほこり》が、車の下から濛々《もうもう》と飛んで来る。番頭は、結構な御日和《おひより》です、少し風でも吹いたらこんなものじゃありませんと喜んでいる。そのうち馬車が家を離れて広い原へ出た。原だから無論|樹《き》も草も見えないのは当然だが、遠く眺めると、季節だけに青いものが際限のない地の上皮《うわがわ》に、幾色かの影になって、一面に吹き出している。なぜこれほどの地面を空《むな》しく明けておくかは、家屋の発展に忙殺《ぼうさい》されつつある東京ものの眼には即時の疑問として起《おこ》る訳であるが、この際はそれよりも窮屈な人間を通り抜けて晴々《せいせい》したと云う意識の方が一度に余の頭を照らした。路は固《もと》よりついていない。東西南北共に天に作った路であるから、轍《わだち》の迹《あと》は行く人の心任せに思い思いの見当《けんとう》
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