御入院の時よりもうずつと御顏色が好くなりましたねと、三ヶ月|前《まへ》の自分と今の自分を比較した樣な批評をした。
「此前つて、あの時分君も矢張り附添で此處に來てゐたのかい」
「えゝつい御隣でした。しばらく○○さんの所に居りましたが御存じはなかつたかも知れません」
○○さんと云ふと例の變な音をさせた方の東隣である。自分は看護婦を見て、これがあの時|夜半《よなか》に呼ばれると、「はい」といふ優しい返事をして起き上つた女かと思ふと、少し驚かずにはゐられなかつた。けれども、其頃自分の神經をあの位刺激した音の原因に就ては別に聞く氣も起らなかつた。で、あゝ左樣《さう》かと云つたなり朱泥の鉢を拭いてゐた。すると女が突然少し改まつた調子で斯《こ》んな事を云つた。
「あの頃貴方の御室《おへや》で時々變な音が致しましたが……」
自分は不意に逆襲を受けた人の樣に、看護婦を見た。看護婦は續けて云つた。
「毎朝六時頃になると屹度《きつと》する樣に思ひましたが」
「うん、彼《あ》れか」と自分は思ひ出した樣につい大きな聲を出した。「あれはね、自働革砥《オートストロツプ》の音だ。毎朝髭を剃《そ》るんでね
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